問題をつくってるのはなんのためなのか。
自分が問題だと思うこと、おかしいと思うことをそのままにして、自分がやるというのができなくて。
しょっちゅう、何か気になったりもやっとしたりすると、改善したいと思うしやろうとしてしまう。
でも、組織にいたら、結構理不尽なことはごろごろある。納得できなくて改善したいことはいくらでも出てくる。
とりあえず自分や自分のチームに関わることはなんとかしたいと動いてきたのだけど、ふと、なんで私はこんなに問題を解決したいとがんばってるんだっけ?と思ったのだった。
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なんでだろうと考えてみたら、自分が解決したいことを「問題」という形にして、やりたいことをつくってるんだなと気づいた。
自分が問題だと思うことを問題に設定して、自分で考えた自分がやりがいがありそうなことをつくって、自分が役に立てる自分の居場所を確保しているのだ。
やることがあればそこにいられるし。やらなければならないことより、ちょっとでも自分で考えてやることの方がやる気になるから。
自分がこうしたい、こうした方がいいと思う方向に変えることを目標にして、自分がしんどくなくて居心地のよさそうな環境をつくりたいだけだし。
ちょっとでも改善し、さらに改善できる余白を残せることで、ずっと希望を持ち続けることができた。ちょっとは変えれた、まだ変えられる可能性がある、まだもっとがんばれる、っていう。
そこにいるためのベストな方法が、いやにならずにおもしろく続けるための方法が、問題になることを見つけて自分の理想を解決方法として設定することだったのだと思う。
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「問題」だと思うことには、やっぱりどこかに同じように問題だと感じている人がいたりする。
同じくらいに問題解決したいと考えている人が見つかることもあるし。
自分で解決しようとはしなくても、解決されたらいいと思っている人がいたり。
問題と感じてなかった人でも、説明したら理解してくれる人は多かったりする。
だから、ニーズはある(ように見える)し、ニーズをつくりやすくて、わかりやすくて、やることをつくりやすいし認めてもらいやすい。
それはそれでよいと思ってやってきたのだけど、いろいろきついなぁと思いながらどう対応すべきか考えていたときに、ふと思ったのだった。
私はわざわざニーズをつくってまでここで何かをやりたいのかな?って。
私がやりたいことではあるけど、たいしたニーズがあるわけでもないことに、こんなにエネルギー費やす必要あるんだっけ?と。
なんでこんなにここで問題の解決したいと思うんだろう?と考えてみた結果、自分のためだなぁと思った。
みんなのためとか、組織のためにもなることだから、理由をつくって自分のために動きやすかったし、それを利用して動いてるのだ。
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別に、問題を見つけること自体は、問題ではなく。
問題を見つけて課題設定してどんどん解決していくことはいいことだと思う。
単に、私が、そのやり方で成功体験を得たことで、同じかんたんなパターンでなんとなくしのごうとしているというのに問題があっただけ。
最初はほんとに単に問題を解決したいだけだったし、たまたま話していて同じ問題意識を持っていた人たちがいたから、一緒にやりましょうって進めてきただけだった。
実際いろいろ改善できたし、検討の場をつくれたことで場所間に落ちがちな問題を拾えてよかった。
ただ、同じような意図や問題意識のある人たちとディスカッションしたり何かを進めるのは楽しかったので、味をしめたのだと思う。
楽しくてやりがいのある何かをかんたんにつくりだせる方法として使うようになっていたのだった。
だから、自分の得意なやり方ではあるのだけど、それで楽してそのやり方やその場所に甘んじているのはよくないなと思って。
無駄にエネルギーを使ってるのも、意識を持ってかれてしまってるのも、なんだかなと思って。
私は私のやりたいことのためにエネルギーを使いたいし、私や私の仕事を好きでいてくれる人のために動きたいし、そこに力を費やせるように変えていこうと思う。
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