![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/173714174/rectangle_large_type_2_ae44e632b7ba779e3fe1b6d2fce981d5.png?width=1200)
見ているものが偏っていないか?
人によっていろんな価値基準があって、それぞれいろんな状況にいたりして、仕事や職場に求めるものや選ぶ基準とかもさまざまだ。
そういう、人それぞれだよね、多様な人たちがいるよね、というのは広く認識されるようになってはいる。
でも、頭ではわかっていても、実感は薄いとか、少数派の人がいるだけ、みたいな感覚でいる人とかも多いように感じる。
*
人って、自分がずっと経験してきたこととか自分が馴染んでいる環境のこととか、あたりまえにあることについては、あたりまえだとも認識してなかったりして、そのあたりまえとは違う人がいることにも気づきにくい。
自分のあたりまえと違う人がいるのはわかっても
、自分と同じような考えが一般的のように思ってしまったりもする。
見えてないことはわからないし、知らないことは想像できないから、意識的に知ろうとしない限り気づかないことはある。
似たような人たちと過ごしていたりすると、余計に普段接しないことには気づきにくくなるよね。
*
で、似たような考えや属性の人たちが、自分のあたりまえに気づかないままに検討を進めているのも多いなぁと思う。
日本の政治家の方々の偏り具合とかはよく話題にされるけど、会社内でも偏りやすいよね。
会社では、評価をされる人が昇進したりして権限を持ち、その人たちがルールや制度などをつくっていくことになりがちだ。
で、スタートアップとか若い会社などはともかく、ある程度歴史のある企業の場合、そういう権限を持つ人たちがまだ昭和世代の方々だったりしない?
年齢性別は多少幅があったりしても、これまでの環境や制度の中で成果をあげたり評価されたりしている人たちの集まりだと、似たような価値観や志向で考えていたりしない?
多様な人たちがいる、多様な人たちが働いている、というのは知っているだろうと思うけど、それでも、施策とか制度とかの検討の場で、「普通はこう思うよね」「こういう人が多いだろうね」っていうのを、その人たちの価値観で見ている感じがして、危険だなぁと思う。
今の若い世代の考え方とか行動とかが、ほんとにいろいろだし昔とは全然違ってきていることを、よく見ようとしないといけないと思う。
*
自分のあたりまえ、自分たちのあたりまえが、みんなのあたりまえではないということ。
今までのあたりまえと、これからのあたりまえは違っていること。
それを、そういう人もいるのはわかるけどさ、って話ではなくて、ほんとにいろいろ違っていてそういういろんな人たちがこれからの会社や社会を担っていくものとして、そのあたりまえの違いを見ていくようにしたいよね。
*
ライティング・ライフ・プロジェクト2025年3月期募集準備中です。
お問い合わせなどはこちらからどうぞ。