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成果や評価だけがモチベーションじゃない。

いろんな価値観があって、それぞれの資質や能力などがある。
いろんな「やりがい」とか「好きなこと」「得意なこと」とかがあって、それがモチベーションとかにもつながる。

というのは、きっと多分誰でもわかってるはずなのに。

成果を出すために、評価を高めるために、自らがんばるものだ、って建前で制度やしくみが検討されているのを見ると、もやっとする。

組織としては、業績あげるなど成果出していかないといけないし、だから成果出す人を評価するのはわかる。

ジョブ型になることで
「成果出せれば評価されるのはいいでしょう?」
「ここを伸ばせば評価されるというのがわかりやすくなるのはいいでしょう?」
というようなことが述べられるけど、それもわかる。
年齢関係なく成果に見合う評価なのはシンプルだし公平でいいと思うし、評価されたい人が成果出そうとすれば、成果を求める組織側とWin-Winだ。
(日本風ジョブ型、みたいな中途半端なのはどうかと思うけど。)

でもそこで、
「だから、キャリア自律と言われる今、自分で目標決めてスキルアップしましょう」
「自分でどんどんやれば評価されます!」
ってなると、それはそうなんだけど、どうかなぁ?と思う。
評価されたい人、成果出していくことにやりがい感じる人は、それが合うと思うし、それで動くと思う。
でも、評価も成果もやりがいもそこそこでいいけど?って人には、それは響かないと思うんだよな。

その層を見ていないわけではないと思うけど、そこは切り捨てるのかどうなのか。
(切り捨てればいいと言う人もいる。)
切り捨てるならそれはそれでその組織の判断なのだけど、大部分がそんな層だったら組織自体が弱体化するので、結局切り捨てはできず半端なままで、目指していたはずの「キャリア自律でジョブ型で意欲もって成果を出していく人」が伸びにくくならないか。

組織として求める成果を出す人が、権限なども持っていくから、成果を出して評価されたいのが前提のように考えられてしまうのかも?とも思う。
そうでない人がいることはわかってても、ほんとにはわかってないのではないかと感じることもある。

「マインド変えさせないと」って、言われていたりもする。
「自律的に考えていかないと」って意味なら賛成なんだけど。
自律的に考えた結果、別にそんなにはがんばらなくていいか、とか、今はがんばらなくていいか、って人だっていて、それは価値観とかキャリア観だから変えられるものではないんだよな。
考えを押しつけたりしていくと、人が離れる原因にもなると思うんだよな。

そういうところを、どのように考えて進めていくのがいいのだろう?と、もやもやしつつ考えているところ。

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