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バカにする方にもバカの壁がある。
「バカの壁」という話は以前から知っている。
知ろうとしない人が、「バカ」という話。
わからないと知れないし、でもそれでわからないままでよしとしていると何もわからない。
「わからない」「知らなかった」ですませて、知ろうとしない人はよくいる。
わからないから知ろうとしないとか、知ると都合が悪いから知ろうとしないというのも、よくあると思う。
自分もめんどうなときとか、わからないでなんとなく知ったつもりのまますませてしまうこともあるから、人のこと言えないのだけど。
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私が大好きな人たちって、学びに貪欲で、専門領域でもさらにさらにと学びを深めるし、専門に限らずいろんなことを知ろうとする人たちで、「バカの壁」がまったくない。
ご自身より知識経験が少ない人、視野がせまかったりわからないことが多かったり、そういう人に対しても、「できていないこと」「見えていないこと」についての̪示唆やアドバイスは示しても、単に知識経験が少ないとかできないわからないからといって下に見るとかばかにするとかではなく、フラットに見ているように思う。
相手の方が詳しいことがあればそこから学ぼうとしたり、そうでなくてもやりとり自体など含めいろんなことから何かを吸収したりされているように見える。
そういうあり方含めすごく尊敬していてそうなりたいと思う。
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逆に、知識やスキルが高い方で、確かにすごいなぁと思うのだけど、できない人をすごく下にみたり相手にしなかったりする人もいる。
確かにできる人に仕事が集中したりとかできない人に迷惑かけられたりとか大変でばかにしたくなる気持ちもわかるけど、「ばかだから」「できないから」と切り捨てるようなことや相手にしないのはなんだかなと思ったりする。
この記事を見て
https://blog.tinect.jp/?p=43778
バカだ、と、その言葉だけで切り捨てるのって、そこにあるものを何も見ようとしない、っていうことだなぁと思った。
「バカ」だからと、その相手のせいにして終わりにしてしまうと、見えるものも見えないのではないか。
「バカだ」と蔑む対象とは違う意味で、バカかもしれないと思う。
違ってもいないかな。見えているものや見ないでいるものは別だけど、見えてないものや見ようとしないものがあることには変わらない。
養老さんのいう「バカの壁」があって、それを自ら強固にしているように感じる。
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と思いつつ、こう思って書いている時点で、自分も「バカの壁」つくっているので気を付けなければと思った。
ここ見てない人がいるな(私はそこは気づいた)という、思い上がりが壁になる。
たまたまちょっと気づいたところがあり、そこに気づいていない人がいる、というだけで、ほかに私が見えていないものはたくさんあるし、気づいていない人は見えているかもしれない。
ついついわかった気分になってしまうし、そうすると見るのが甘くなったり見えなくなったりするから、壁つくっているかもしれないって思いながら、壁壊さないとって意識しながら見ていないとだめだなぁと思う。
「バカだなぁ」「わかってないなぁ」と人を見てしまったときは危険だなと思っていたい。