自分ごと他人ごと。
「自律して」「自律的に」っていうの、具体的になにがどうなっていたらよいとされるのかあいまいだよね?
というのと同じ感じで、
「自分ごとにして考えて」
というのもあいまいだなぁと思う。
自律的に、っていうのと、同じような意味で使われているのだとは思うけど。
一時期、上司がよく「自分ごとにして考えてみよう」などと言っていた。
自分のこととして捉えていたら、自ら考えて行動するだろう、ということなのだろうと思うし、一理あると思うのだけど、でもそこがポイントなのかどうかはわからないとも思う。
みんな自分の担当の業務は自分に関わることだと思ってると思うし。
その中でも、必要な業務以上に何かをとまで思えるようなのはどんなものなのかどんなときなのかっていう話かもしれない。
もしくは、業務範囲をどうとらえているかって話かもしれない。
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以前、上司に
「自分ごとにして考えられるのはどうしてなのか?」
「どうやったら自分ごとにできるのか?」
と聞かれたことがある。
だけど、私は別に”自分ごとにしている”という意識はなかったし、自分ごとにしているからこれやりたい改善したいとか言っているというわけでもないと思っていた。
単に、自分が作業していてめんどうなのはもっと楽にしたいし、理不尽だと思ったら納得できるようにしたいだけ。
それがたまたま、上司から見たら「自分ごとにして考えて行動している」ってなっただけだと思う。
「めんどうだっていうのはわかるけど、めんどうなのを変える方がめんどうだからそのままにする人のほうが多いでしょう」
「それを変えようとするのはなんで?」
とも聞かれたのだけど、私にとってはその方がめんどうじゃないからとしか言えないなぁ。
何回も何回もめんどうなのを繰り返すとか、納得できていないことを続けるとかより、自分がやってみてまぁこれなら効率よいとか納得できるとかそこまでもっていく方がいい。
私の動く基準、価値を感じる基準がそこだっていう。
だから、「自分ごと」だから行動できる、「他人ごと」だから行動できないってわけでもない。
ただ、私はそうだというだけで、ほかの人はそれぞれの動く基準があるだろうし。
「自律的に」「自分ごとに」とかざっくりした内容で考えるより、それぞれの動く基準がなんなのかを考えたほうが「自分で考えて動く」ができそうだよね。
どうしたらそうなるか?そうしてもらえるか?
っていうのは、結局、どう伝えたら相手が考えやすいか動きやすいか、ってことだと思う。