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言葉を違うように受け取られるとき。

同じ言葉でも、どのように使うか、どんな気持ちで使っているか、人によって違う。

というのは、理論としてはわかっていても、なかなか気づけないこともあるし、気づいても自分の癖としてどう使っているか、どう解釈しているかってなかなか変えられるものではない。

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思ったような意図で受け取ってもらえていなくて、話がずれているように感じたり、違和感あったりして、訂正することもある。
一般的な話として、言葉や文脈など受け取り方がさまざまとわかってはいるので、全然違う仕事の人とか、部署など違っていつもずれやすいなぁと思っていたりすると、言葉の定義確認したり、細かく説明したりもできる。

だけど、よくやりとりしていたり、同じような仕事していたり、何回かやりとりして説明したことだと、わかってもらえるだろうとか、以前伝えたしという油断が出てきてしまう。
油断していると、また同じ言葉の取り違えがあって、ごたごたしたりする。

「そういう意味で使っているわけではないのに」「前も同じような話したのに」と思って、覚えておいてくほしいと思うのだけど、よく考えたらそれは相手も同じように思っているのだろうなとも思う。
だから、相手に、自分に合わせて受け取ってよっていうより、自分が配慮できるのがよいのだろうな。
それが、スムーズにすすめるようにするためには、適しているとは思う。相手に期待したり頼ったりせず、自分ががんばれば改善できるから。

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とは思いつつ、自分ががんばれば改善できる、というのがベストだと思っていなくて、できたら、自分が配慮はするけども、相手も歩み寄ってほしいと思ってしまう。

伝えたい側ががんばるものだ、とも思うのだけど。
伝えられる側は、伝えられたいとは限らないから。
たとえば、プレゼンとかお願いのときとかは、伝えられる側は受け取ろうとしていない前提で、くみ取ろうとしてくれることなど期待しないで、伝える側が相手に届くように工夫するものだろうと思う。

でも、仕事とか、プライベートでも、相互にやりとりするような相手だったら、お互いに相手の意図をくみ取ろうとしたいなぁと思う。
両方から歩み寄れるのがいいなと思う。
そういう関係性をつくれる人と、仕事でも遊びでもしたい。
だからと言って、お互いを期待していると、自分の配慮がおろそかになるのもわかっているので、そういう関係をつくりたいと思いつつも、自分がさらに歩み寄る気持ちでいるのがいいのかもな。

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