見出し画像

服を変えてエッジを超えられる?

服を変える、持ち物を変える、ということで、今までの自分の枠を超える、枠を超えて自分を変えていく、という考え方が好きだ。

実際に変えてみて認識変わったという話も聞くし、自分でも気合い入れたいときにはお気に入りの服とアクセって思ったりするから、なんとなく「意識が変わる」感覚のイメージがつく。

服とか持ち物に限らず、何かを変えることでの効果だと思うけど、でも服や持ち物って、わかりやすいし目に見えて変わった感があるから効果が大きそうに思う。
意識を変えるってわかりにくくて難しいけど、視覚から認識変えるのはやりやすくていいなと思う。

で、自分では選ばないものを勧められて着てみて、認識が変わるっていうのを体験してみたいのだけど。
勧められて、ちょっと意外だったりしつつ着てみて、そんなに違和感なく着れてしまうことが多い。
買いたいと思うか、着たいと思うかは別だけど、まぁこれも合わなくはないかなって思ったり、メイクとか髪型とか変えたらありかもって思ったり。

この前も、勧められて着てみて、着る前から好みだなぁと思ったけど着てみてもすごいしっくりきた服があった。
客観的にも似合っているみたいだし、自分でもすごく気に入った。
着こなしとかも教えてもらえたから余計に馴染んだ感じもあったかもしれない。

でも、しっくりしている、というのは、自分に合っているのだと思うけど、しっくりしてしまっているのは、枠を超えてはいないかもしれないとも思った。
自分では抵抗あったりするくらいのものを思い切って着てみる方が、枠を超える、エッジを超えるっていう気がしない?

今まで、というか、ここ数年から10年くらい着ていた服の方が、ある意味で「枠を超える」ものだったのではないかと思う。

もともと、ボーイズライクな服が好きで、大学に行くまではカジュアルでゆるっとした格好が多かった。
大学に入っても、スカートやワンピはそれはそれでいいなと思ってときどき着るけど、それでもきれいめってほどでもなく、基本は動きやすいカジュアルな服だった。
社会人になって、一応ジャケットにスカートのきれいめな服を着るようになったけど、最初のうちはきれいにしていても、慣れてきたら注意されそうなぎりぎりまでカジュアルに寄せ、スーツ着るときもパンツスーツで。
今はよくタイトなものを着るけど、もともとはゆるっとしたものも好きだった。

着るのはカジュアルだしパンツ派だったけど、見るのはきれいなラインのワンピやスカートとかふんわりドレープとかも好きで、今まで着たことないけど好みの服を試したりするようになったのがここ数年10年弱だったと思う。
合わないと思ってた中にも、合うのとか好きなのはあるなって思って、気に入ったものは着ていた。

というところからの、体型とか考えて理論的に似合うものというのが、もともとの好みに近くて違和感がなかったのだと思う。
どちらかというと、それがきれいに着こなせるなら憧れる方向のもの。
(と言っても憧れる雰囲気のものはいろいろあるのだけど。)

別に、似合ってて気に入って着てて気分があがるものを見つけたいだけで、枠を超えるっていうのが必須なわけではないのだけど。
これは、と思うようなものは、よさをひきだしたりより高めたりしてくれるものだとも思うけど。
単に、想定外のものが合うようになれば、超えられる、変われる、と信じたくて、「枠を超える」「エッジを超える」というのに憧れるのかもしれない。

とは言いつつ、自分にはないものに憧れる、というのを手放して自分のよさを見るというところが、私にとっての「枠を超える」「エッジを超える」なんだろうとも思う。
華奢さに憧れて、きれいなすっきりしたワンピを着たくなったり、しゅっとしたタイトめの服を着たりするのだけど。
そうじゃないところによさがある、というのを、理論ではわかるって話でなくて自分で認識できたら、変わるのかもなと思う。

ライティング・ライフ・プロジェクト2023年6月期募集準備中です。
お問い合わせなどはこちらからどうぞ。

いいなと思ったら応援しよう!