#99 フランスの小さな町で見つけたもの
※この文章は2013年〜2015年の770日間の旅の記憶を綴ったものです
フランスはニースから始まり、マルセイユ、カシ、アヴィニョン、アルル、モンペリエと南仏を巡ってきた。
モンペリエからいったんスペインのバルセロナとビルバオへ10日ほど。再びフランスに戻ってきて、今度はフランスの南東部にあるリヨンへと向かった。
モンペリエとリヨンでは、ペルーで一緒に滝を見に行ったセバスチャンが、彼の同郷の親友を紹介してくれて、街を案内してくれた。どちらももちろん初対面、フランス語はもちろんのこと英語も拙いわたしが正直に不安をもらすと「我慢強いヤツらだから大丈夫だよ!」と。Facebookで事前に連絡を取ると(こういうところは、現代の旅人だなぁ…とつくづく思った)、どちらも待ち合わせの場所から丁寧に指定してくれて、見どころをたっぷりと案内してくれた。
学園都市モンペリエは、学生が多くて若々しいハツラツさを感じた街。わたしが滞在していたオールド・タウンの界隈にはレストランやカフェ・バーが沢山あって、思わず覗きたくなる古着屋なんかも見かけてワクワクした。
リヨンはフランス第二の都市だけあって、活気ある都会。でも治安の不安を感じることはなく、オールド・タウンとそこに縦横無尽に広がるトラブール(Traboule)を興味津々で探し歩き、クロワ・ルース(Croix-Rousse)の丘から眺めた街並みに見惚れ、街のあちこちにあるユニークなウォール・アートを見つけるのが楽しくて仕方なかった。
友人二人を紹介してもらってたっぷり時間を割いてもらったくせに、図々しくもわたしはセバスチャン本人に再び連絡をとって、彼の故郷の町に行ってみたい、という旨を伝えた。ペルーで会った時にその町の名前は聞いていて、わたしにとっては初めて聞く名前だったけれど、あのサンティアゴ・デ・コンポステーラへ繋がる主要な巡礼路のスタート地点のひとつということで、ヨーロッパでは結構有名らしく、春から秋にかけては観光客も多いらしい。色々調べようにも日本語の情報は少なかったけれど、この町の観光案内サイトを見つけて「うわぁ! 行ってみたい!」と思ってしまったのだ。
中米・南米を巡る長期の旅を終えて故郷の実家に戻っていた彼は、わたしの勝手な希望にも快く応じてくれて、実家の空いている部屋に泊まればいいよ、とまで言ってくれた。そんなありがたい提案をもちろん断るわけもなくその好意にどっぷりと甘えることにした。
この町で過ごした四日間は、この旅の中で、わたしにとって最高の瞬間になった。
町の名所を案内してもらっただけでなく、少し離れたところにある小さな山に登って頂上をめざし、ビュービューと風が吹きさらす中で歯をカチカチいわせながら持参した手作りサンドイッチを頬張り、そのまま近くのスキー場まで連れて行ってもらい、ものすごく久しぶりにチャレンジしたノルディック・スキー(板とブーツがビンディングでつま先だけで固定されたスキー)。親友と大学の卒業旅行でフィンランドに行った時にやった以来だったので、11年ぶりだ。登山の後にさらに大汗かいて、慣れないスキーで転びまくって、ほっぺた真っ赤になりがらも「わたしは本当に雪山が好きなんだ…」「こんなにも『楽しいー!!!』と叫びたくなるような瞬間がこの旅の中で突然やってくるなんて…」とただひたすらに、興奮した自分の心に問いかけていた。
お母さんの作ってくれたクレープやパスタに舌鼓をうち、「フランスの家庭の朝は本当にタルチーヌなんだ!」と感動し、セバスチャンのお兄さんがシェフで経営しているレストランで本場のフレンチとワインをご馳走になってその見た目の美しさと美味しさに歓喜した夜。薪をくべて温まったリビングで、静かにパチパチと音を立てている暖炉を見つめながら、いつかわたしも暖炉のある家に住むんだ…と心に誓った夜。
生まれ育った町でありながらセバスチャン自身が「ここに来たのは何年ぶりだろう…」とつぶやくような場所まで連れて行ってもらって、小さな町の見所をくまなく案内してもらった。
この旅のために買った一眼レフを手にしてからは、どこへ行っても後悔の無いよう、かなり多くの写真を撮ってきたと思う。自分の腕に自信が無いから、どうしても「数打っときゃ、どれか当たってるだろう」となってしまいがち。けれどこの日々は、カメラを取り出して写真を撮るよりも「今のこの楽しい瞬間に集中したい」と思う時間の連続だった。
この町を発つ日のランチには、セバスチャンがカルボナーラを作ってくれた。
それを食べながら、ふと、彼自身の旅について聞いてみた。「旅を終えた後、自分は変わったと思う?」
すぐに返ってきた「YES」という答え。
旅に出る前、彼には色んなことへの恐れがあったという。けれど旅をしたことによって、それらを克服することができた、と彼は明確に答えてくれた。
それはわたしの旅にも大いに通じるものがあった。いや、むしろ旅を終えた後「以前よりも強くなった自分を実感できるようになっていたい」という強い願望に通じたのだ。旅は自分にとって「エクスペンシヴ セラピー」だったと自嘲気味に付け加えた彼に、また一層わたしは共感を覚えた。
ここを離れた後、わたしの長旅に驚いた人たちから「これまでで一番好きな場所は?」と聞かれて、「フランスの小さな町」と答えると、全員が意外な表情をする。そこには明らかに「なぜそれだけあちこち訪れていながら、そんな普通の答えなの?」「絶景とか秘境を沢山見てきたでしょ?」という困惑したような疑問が浮かんでいる。
たしかに絶景と叫ばれる所も、秘境とささやかれる所も見てきたのは事実。
でも心の深いところに染み入る思い出になる場所は、そこでの出会いや体験と切り離すことはできない。だから、誰かに「ぜひ行ってみて」とオススメするとかいう話は抜きにして考えると、やっぱりこの地がわたしにとっては一番なのだ。
残念なのは、同じ質問をフランス人からされた時、その町の名前をわたしが答えても、誰もすぐには理解してくれないこと。わたしの発音が悪すぎるのだ。終いにはメモ帳を取り出し書いて見せるハメになる。そうしてようやく理解してくれる。一番好きだと言うなら、せめて正しく発音できるようにならねば…と思う。
ひとつの大きな後悔がある。この町を出て再びリヨンに向かう列車に乗るために、セバスチャンが車で駅まで送ってくれた時。ホームまで来て見送ってくれた彼に、この四日間のお礼を言うつもりだったのに、なぜか涙が止まらず、大泣きしてしまって言葉にならなかった。彼のとても困惑した表情。
見送ってくれた相手に残すべきは、楽しかった時間の最後を締めくくる笑顔以外に必要なかった。