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  • 夜間飛行

    〜深夜特急のオマージュ的な何か〜 770日、世界を巡った旅の記憶

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橋のある風景

※この写真は、2013年〜2015年の770日間の旅の記憶です

    • 路地 あるいは 小径

      ※この写真は、2013年〜2015年の770日間の旅の記憶です Namibia - エトーシャ国立公園で出会

      • #112 The long journey is over

        ※この文章は2013年〜2015年の770日間の旅の記憶を綴ったものです 2015年8月某日19時過ぎ 成田国際空港に着陸。 最初に日本を出た日から771日、42ヶ国を周遊する旅が終わった。 一日も欠くことなく綴った日記手帳はちょうど十冊めを迎えていた。 旅の終わりが近づくにつれて、この旅への思いとこれからの決意をよりいっそう力強く記した。でも今それをここに綴るのはふさわしくない。 だからまたいつかその時が訪れた時にしよう。

        • #111 南米の仇をインドで打つ-5

          ※この文章は2013年〜2015年の770日間の旅の記憶を綴ったものです 結局、登頂までに要した時間は10時間。再びアッパー・キャンプまで下山するのにさらに6時間近くかかった。けれどもあの時のわたしの体力を考えれば無理もなかった。脚も膝もふにゃふにゃでほとんど力が入らず。それを嘲笑うかのごとく、昼間の気温で緩くなった雪の斜面は足を踏み出す度におもむろにずぶりと数十センチほど沈み込むのだから、数歩ごとに足をとられてはドスンと尻もちをつき湿った雪の上に倒れこんだ。 ふとスマホ

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        • 夜間飛行
          115本

        記事

          #110 南米の仇をインドで打つ-4

          ※この文章は2013年〜2015年の770日間の旅の記憶を綴ったものです わたし達のずっと前を登っていた人影が、こちらに近づいて来るのに気がついた。 「なんで彼は下りてくるんだろう?」 実はこの夜に登頂を目指していたのはわたし達だけではなく、もう一人チェコから来た男性がいたのだ。彼はガイドを伴わずわたし達よりも少し遅れてたった一人で登ってきたのだけれど、途中でわたし達を追い抜いて、かなり先を登っていた。ところが夜明けを迎えてしばらく経った頃に引き返してきたのだ。 言葉

          #110 南米の仇をインドで打つ-4

          #109 南米の仇をインドで打つ-3

          ※この文章は2013年〜2015年の770日間の旅の記憶を綴ったものです 23時少し前に目が覚めた時、昨晩あんなにも激しくテントを叩きつけていた雨の音は、耳をすましても聞こえてこなかった。寒さへの抵抗と体力の節約から23時にセットしたアラームが鳴るまでしばらくぐずぐずとテントの中で粘っていたけれど、とうとう我慢できなくなってトイレに飛び出した。 今夜わたし達と一緒に出発するグループが何組も居るはずなのに、不思議と他のテントもホテル(中央の大きなテント)の周りも静まり返って

          #109 南米の仇をインドで打つ-3

          #108 南米の仇をインドで打つ-2

          ※この文章は2013年〜2015年の770日間の旅の記憶を綴ったものです 数日後、結局シェアする相手が見つからなかったことが幸いだった。 わたし一人でガイドを雇ってストック・カングリの頂上を目指すことが決まったので、予定よりも一日ずらして熱中症からの回復を待って出発することにした。 比較的対応が良かったことと一番安い金額を提示してくれたことが決め手になって選んだ旅行会社。当初はわたしの本気をあまり信じていなかったらしく(無理もない。せっかくラダックに来たのにまともにトレッ

          #108 南米の仇をインドで打つ-2

          #107 南米の仇をインドで打つ-1

          ※この文章は2013年〜2015年の770日間の旅の記憶を綴ったものです この旅の最後にどうしてももう一度インドを訪れたかった理由 −−−− ラダックの名峰ストック・カングリ(6,153m)に登るため。 南米パタゴニアで突如として山に魅せられて以来、何度かチャレンジしてきた登山。 ボリビアのワイナポトシではビギナーズ・ラックに心弾けたものの、ペルー(ワラス)のピスコでは悔し涙とともに唇を噛み、リベンジのつもりで挑戦したエクアドル(キト)のコトパクシでも高山病に苦しんだ末

          #107 南米の仇をインドで打つ-1

          #106 オフライン・マップ

          ※この文章は2013年〜2015年の770日間の旅の記憶を綴ったものです わたしにとって、諸刃の剣だったオフライン・マップ。 これ、便利なことはこの上ないのだ。特にわたしのような超のつく方向音痴にとっては。 オフライン・マップとは、インターネット環境で事前に地図データをダウンロードしておくと、ネット接続環境の無い所でも閲覧することができる地図のアプリケーション。GPS機能のあるスマートフォンなどで利用すれば、自分が今いる場所の位置情報も示してくれるという優れもの。いくつか

          #106 オフライン・マップ

          #105 アー ユゥ カザフスタン?

          ※この文章は2013年〜2015年の770日間の旅の記憶を綴ったものです なんとなく、釈然としない気持ちのままトルコを去ってから、お隣の国ジョージアへやって来た。 最初に訪れたバトゥミは黒海に臨むリゾートとして有名な街。ビーチを前に久しぶりに浮かれた気持ちになれるかと期待して来たんだけれど、わたしがいた数日間は天気がイマイチだったことや、元もと海派じゃなく断然山派のわたしだから(そんなことはとうの昔にわかっていた!)、それほど盛り上がることも無く。 この街に来た一番の目的

          #105 アー ユゥ カザフスタン?

          #104 混乱

          ※この文章は2013年〜2015年の770日間の旅の記憶を綴ったものです トルコって、見所は豊富だし、ご飯は美味しいし、ヨーロッパの西側の国に比べれば物価もそこそこ安いし、誰か興味のある人から聞かれれば、もちろん「オススメだよ!」と答えると思う。けれど正直に言うと、わたしにとっては複雑な思いが残る国になった。 イスタンブールから始まって、セルチュク、パムッカレ、アンタルヤ、カッパドキア、アンカラと訪れた場所は首都のアンカラ以外、全て名だたる観光地。当然、観光客をカモにした

          #104 混乱

          #103 イスタンブールでインド・ビザ!

          ※この文章は2013年〜2015年の770日間の旅の記憶を綴ったものです ※ビザの取得方法については当時の情報なので今は参考にならない可能性があります イスタンブールでは、ひとつの大きなミッションがあった。インド・ビザを取ること。 この旅の最初の頃(2013年秋~冬にかけて)に、既に一度インドは訪れているのだけれど、その時は南インドにほぼ沈没。今回は北インドでどうしてもやりたいことがあって「旅の最後にもう一度行こう」とかなり前から決めていた。 インド・ビザは(いやインド

          #103 イスタンブールでインド・ビザ!

          #102 ヨーグルトの国

          ※この文章は2013年〜2015年の770日間の旅の記憶を綴ったものです ここを訪れる前、わたしの周りでは、なぜか前評判があまり良くなかったブルガリア。 「どうしても行きたい!」という強い思い入れがあった訳ではなかったから、それを聞いて、行くのをやめることもできたけど、バルカン半島を南下してマケドニアまでやって来て、この後トルコへ向かうルートの関係から「せっかくここまで来たし」「美味しいヨーグルトを食べられるかもしれないし」「リラの僧院は見てみたいし」ってことで行くことに決

          #102 ヨーグルトの国

          #101 アドリア海の真珠から

          ※この文章は2013年〜2015年の770日間の旅の記憶を綴ったものです 「魔女の宅急便」のモデルになったとも「紅の豚」のモデルになったとも言われるクロアチアのドゥブロヴニク。 ここバルカン半島では大人気の観光地で、これまでに写真でも数えきれないほど目にしてきた有名すぎるオールドタウンの風景。例によってアマノジャクなわたしは、多少いぶかしみながら訪れたのだけれど、実際に自分の目で見て、うん、確かに訪れる人が後を絶たないのは納得できる、と思った。 旧市街の造りや広がり方とい

          #101 アドリア海の真珠から

          #100 髪を切る!そして縮毛矯正

          ※この文章は2013年〜2015年の770日間の旅の記憶を綴ったものです 旅の第二弾をヨーロッパからスタートして以来、髪を切った回数 計4回。縮毛矯正1回。 ヘアカットをお願いしたのはチェコのプラハ、トルコのイスタンブール、ジョージアのトビリシ、アルメニアのエレバン。いずれも各国の首都(大都市で、その国では流行の最先端を行ってる、はず)で、いくつかのお店を吟味した上で「ここだっ」とピンときたところを選んだので、失敗するはずはなかった。だって、これまでにアジアで2回(バンコク

          #100 髪を切る!そして縮毛矯正

          #100 円形闘技場と水道橋

          ※この文章は2013年〜2015年の770日間の旅の記憶を綴ったものです 「とにかく遺跡が大好き!」というわけではないのだけれど、なぜか無性に惹かれてしまうのが、ローマ時代の円形闘技場と水道橋。半円形劇場も悪くはないけれど、わたしが特に惹かれるのは「円形闘技場」の方だ。最も有名なローマのコロッセオは、残念ながらまだ見たことがない。ローマに行ったことがないから。 初めて円形闘技場を見たのは、数年前にチュニジアを訪れた時にエル・ジェムで見たもの。あの時も「何時間でもここに居られ

          #100 円形闘技場と水道橋