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#83 脱出-2 救いは最後にやってくる

※この文章は2013年〜2015年の770日間の旅の記憶を綴ったものです

トゥルカンのバスターミナル前にいくつかの安宿があることは事前に調べてあった。けれどもどこに入っても、レセプションでは「満室!」とすげなく断られてしまう。もう外は真っ暗で、このまま宿が見つからなかったらどうしようか…と焦りはどんどん募っていった。

おそらくわたしと同じバスで到着した一人の女性が同じように宿を探していた。彼女も断られ続けているらしく、三軒ほど続けて顔を合わせるうちに、お互い「あ、また会った」という感じになった。ある宿に入ろうとした時ちょうど彼女が出てきて「ここは空きがあるみたいだけど一泊シングルで25ドルでちょっと高いの。あなたも部屋を探してるなら一緒に来ない?」と。

ターミナル近辺で探すのを諦めてセントラルに移動しようということになると、てっきり一人旅だと思っていた彼女は実はグループで旅をしていた。
その構成がなんともユニーク。母親、彼氏、彼氏の父親、友人(男性)の5人グループ。彼女たち母娘はキト在住、彼氏と父親はメキシコ出身でアメリカのボストン在住、友人男性はプエルトリコ出身というバラエティ。ひょんなことから、そこに突然加わることになったわたし。

基本的に彼らの会話はスペイン語で進んでいく。意外なことにもう10年以上ボストンに住んでいるという父息子も英語よりスペイン語の方が得意なようだった。そんな中で、父親のアルマンド(彼らは父親も息子も同じアルマンドという名前だった)は、一人旅のわたしを気遣ってくれて、スペイン語と英語を交えながらずっと話しかけたり、荷物を持ったりしてくれた。

セントラルに移動してから一時間以上歩き回っていくつも宿を訪ねたけれど、なかなか手頃な宿は見つからなかい。
トゥルカンなんて大した観光地じゃないはずだから、まさかこんなに探して回っても宿が見つからないなんて考えもしなかった。色々と不運が重なった後、まだエクアドルを脱出できずにこの時間に一人でさまようハメになっていたかもしれないことを思うと、つくづく自分の下調べ不足を呪い、今さらながら空恐ろしくなった。
けれどもそんなわたしの思いをよそに、父アルマンドは途中で見つけたパン屋で袋一杯のクロワッサンとバターロールを買ってきて、まるで小さな子供を扱うように笑顔いっぱいでフカフカのクロワッサンを分けてくれた。

結局セントラルでも見つからず、再びタクシーでバスターミナルへ。そのタクシーの運転手に聞いて、ようやく見つけた宿に最後のツイン・ルーム二部屋。「わたし達と相部屋でもいい?」と聞かれ「もちろん!」と二つ返事でOK。このエクアドルで最悪の場合に覚悟していたバスターミナル泊を免れたことに心からホッとした瞬間だった。

さて、部屋割り。
ここに居るメンバーは女3人男3人。当然思いつくのはレイ(娘)とソニア(母)とわたしで一部屋、アルマンド父息子と友人で一部屋の男女別。

ところがなんと!、ここで息子アルマンドから驚きの提案が飛び出した。「僕たち(アルマンドとレイ)は夫婦も同然だから、同じベッドで眠りたい。だから君とソニア(レイの母親)が一緒のベッドでいいかな?」
「もちろん…」と二つ返事でOK。もはやわたしに断る権利はない…。
この旅では狭いドミトリールームをさんざん経験してきたし、ペルーのピスコに登った時には、男二人とわたしの三人でタタミ二畳の広さも無いようなテントの中で寝起きしたんだから、広めのシングルベッドに女二人で眠るのなんて大した問題じゃあない、と即座に腹をくくった。

寝床が確保できて意気揚々と夕食に出て行った彼らを見送ると、今日一日の怒濤の出来事にドッと疲れがこみ上げてきて、すぐさまベッドに倒れ込んで、意識喪失。戻ってきたソニアが同じベッドの隣におさまったことにも全く気づかず、朝までぐっすりと眠りこけた。

* * *

数時間一緒に宿を探しまわって、一晩同じ部屋で(しかも同じベッドで!)眠ったせいか、わたしの気持ちは彼らにすっかり馴染んでしまい、翌朝別れるのは淋しい気持ちになっていた。ところが行き先を聞くと、彼らも国境を越えてコロンビア側の国境の町イピアレスに行くという。「一緒に来る?」と言ってくれたレイの言葉に甘えて、わたしも一緒にタクシーに乗りこんだ。父アルマンドは朝からニコニコしながら「よく眠れたかい?」と、またクロワッサンを一つ分けてくれた。

国境の手前でタクシーを降りて、コレクティーボに乗り換えた。イミグレーションらしき建物が数百メートル先に見えているのにわざわざ車に乗って行くのかな?と不思議に思っていると、そこをあっさり通り過ぎて、車は町中に向かってどんどん進んで行った。不安になって父アルマンドに「イミグレーションは? スタンプは?」と聞くと「日帰りでイピアレスに行く場合は必要ないんだよ」と。

「いやいやいやいやっ、そんな訳ないでしょ!」とわたし一人で大騒ぎ。今晩中にキトへ戻る彼らには出入国審査が必要ないと言うけれど(いまだにわたしにはこの理屈が信じられない)、これからコロンビアを旅するつもりのわたしまで必要ない訳がない。結局コレクティーボがセントロに着くとすぐにまた国境行きに乗り換えて、来た道を戻り、ようやくイミグレーションにたどり着いた。

エクアドルに入ってからここまで色んな災難に見舞われてきただけに、いったんノースタンプで出てしまったことを追求されたらどうしよう…とドキドキしたけれど、あっさり出国審査は完了。パスポートにはくっきりとエクアドル出国のスタンプが押されていた。「あぁ、これでようやくエクアドルを脱出できた…」とこれほどまで出国に感無量だったことはない。ちなみにこの後通ったコロンビアの入国審査でも、気怠そうな女性係員がパスポートをチラッと見ただけで、あっさりスタンプを押してくれた。

再びイピアレスのセントロへ。アルマンド達と落ち合いわたしが見たかった世界一美しいと言われるラス・ラハス教会を見に行った。谷川に架かるように建てられたこの教会へと下って行く道のりは、まるで日本のお寺の門前町のようで、小さな食堂やお土産屋さんが軒を連ねていた。そこで焼きバナナや豚肉の唐揚げ、煎った豆菓子などを買ってみんなでワイワイつまみ食い。子供の頃に地元のお祭りの宵宮を見に行った時のワクワクした気分を思い出した。

わたしの父親よりも少し若いくらいの父アルマンドは、スペイン語と英語を交えながら、ボストンに住む家族や孫の話をしてくれた。それを聞きながら、子供の頃に亡くなったわたしの父がもし生きていたら、父と一緒に海外を旅することはあっただろうか? などと想像を巡らせたりした。

この日一日ずっと彼らと一緒に観光し、一緒にご飯を食べて写真を撮り合ったのに、夜には彼らはキトへ戻ってしまう。
立て続けのアクシデントに圧しつぶされそうになったエクアドル。
ここを最後はなんとか無事?に脱出できたのは、「彼らがついていてくれたからだ」と本気で思った。タクシーが、今晩わたしが泊まるホテルの前に停まると、隣の席に座っていた父アルマンドがわたしの方を向き、わたしの顔の前で十字を切って、この先の安全を祈ってくれた。それから頬にキス。レイやソニアとも強くハグして、わたしはタクシーを降りた。

わたしを降ろした後、国境に向かうタクシーの後ろ姿をホテルの玄関の前に立ったまま見送ろうとすると、父アルマンドは窓から身を乗り出して手を振りながら「危ないからホテルに入って!」と叫んでいた。それでも暗闇の中に消えて行くタクシーの黒い影が見えなくなるまで彼らの姿を追っていたくて、顔が涙でぐちゃぐちゃになるのも構わずに、わたしはタクシーの後ろ姿に手を振り続けた。

「世界一美しい」と言われたラスラハス教会
「世界一美しい」と言われたラスラハス教会
「世界一美しい」と言われたラスラハス教会


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