「嫌いじゃないけど苦手~」最愛の口癖とサラバした理由
「嫌いじゃないけど、苦手~♪」
社会人になって習得した頻出口癖で、会社同期に“まきちゃんのモノマネ”って言われながら、揶揄されていた口癖の一つ。
なんで揶揄されてたのか。
それはですね、私が嘘つきだったから。
嫌いじゃないけど苦手、と表現するのはモノや事柄じゃなくて、人だけ。
苦手だと表現する相手は、もれなくキライだったのだ。
人を嫌うって悪いことだと思い込んでたし、人から嫌われたくない思いが強くて、『苦手』という切れ味の悪い刃で、オブラートに包んでたんだよね。でもさ、実際は全然包めてなくて、むしろ嫌いが目立って、自分だけが「苦手なの」と控えめに言ってるだけ。周囲にはビンビンに伝わる。
あなたこの人のこと嫌いでしょと。
「嫌い」と自分では言ってないからセーフとか、意味の分からないルール設定をしたり。それが人間関係を穏便にする処世術だったし、人を傷つけなくてすむし、人から傷つけられなくてすむけど、もうやーめた。
どうせ、バレてるし。
嫌いというかどうかは別にして(言わないでいいことが、ほとんどだろう)、自分の心には許可してあげる。
嫌いを認めたことで、人間関係が崩壊するわけでも、人を傷つけるわけでも傷つけられるわけでもない。
例えば、自分の嫌いは何パータンかあって、上から目線の人とか、能力や権威を持っててヒケラカスような器の小さい人が嫌い。
それって、上から目線の人に対して、更に上から目線でジャッジしてるわけだし(苦笑)、心の中では能力や権威が欲しいと思ってるから反応しちゃうわけで。
嫌いなもんはキライ、を認めたら3つも大きな変化があった。(万歳)
嫌いの感情を受け入れたことで嫌いじゃなくなった。というか、どうでも良くなった。
嫌いの裏にある感情、自分もそうありたいという羨ましい感情の方を尊重するようになった。
嫌いなのはその人そのものではなく、事象のみにフォーカスできるようになった。
どれも頭ではわかっていたことなんだけど肚落ちしてなくて、やっと心底肚落ち。ちゃんと嫌いを認めたからこそ、次のステージへどうぞと扉が開いた気がするのです。
物事の道理は、肚落ちと順番が重要を実感する今日この頃なり。