おしどり夫婦は、世代を越え子や孫たちにまで。
「結婚73周年の記念旅行を予約したばかりでした。」
祖母の告別式でこう話したのは、母である祖母の娘。祖父母の結婚記念日には、子ども夫婦あわせて計8人での旅行が例年の行事となっていた。
先日、母方の祖母が急逝した。親族、近所の人たちの誰もから羨ましがられた祖母。
どこに行く時も何をする時も、そばに寄り添って甲斐甲斐しく世話をするのは夫である祖父。オシドリ夫婦の鏡な二人は、そろって95歳、結婚72年を越える仲良し夫婦。
私自身は実家を出て20年以上、年2回帰省するだけだが、おしどり夫婦の祖父母は自慢。葬儀用に写真を準備しながら二人の愛され具合が伝わる。
昭和初期の白黒写真の子ども時代から若かりし頃。子ども、孫ができ、親族一同の写真も増えるが、2人だけの旅行写真は数知れず。70歳を過ぎた頃からは、金婚式、ダイアモンド婚式、米寿のお祝いと2人そろって迎えられるお祝いのレア度が上がっていき、お祝いの会も大々的になっていくのが、30人以上超える親族の集まりから分かる。
「30枚ほどピックアップしてください」と指示された写真を選ぶのに苦労するのは、溢れんばかりの写真があるから。母が祝事のために写真をスキャンして取り入れていたり、まとめてくれているおかげでもある。
仲睦まじい夫婦は二人でも幸せそう。
子ども夫婦との旅行でも幸せそう。
孫8人、ひ孫16人集まる会では、自慢げにしている。
『当たり前』に見てきた世界。
子どもができるのは当たり前じゃない、家族で集まれるのは当たり前じゃない。そう分かっていても、毎年大勢で集まる『当たり前』の大元が祖父母であり、中心には母がいる。
20年以上、当たり前に見てきた仲睦まじい姿は、親族一同に影響を与える。
「あの二人はホントすごい」の二言目には
「絶対真似はできないけどね!」と、どの夫婦も口をそろえて言う。
我が家も例外ではない。
マジ無理。
おじいちゃんの絶大なる愛は、爪の垢を飲んだところで真似できそうもない。
例えば10分間に3度も同じ会話をし続けるおばあちゃんの話を聞いたり、身の回りのお世話を全部したりしているんだもの。まぁ無理無理。
皆、言うことは同じ。
二人のようにはなれない。
だけど、皆見てる。
二人の仲睦まじさを。
しかも、見続けてきたのだ。
親族には離婚している夫婦がいない。
仲が良くなさそうな夫婦もあり、あーだこーだ言ってるのがほとんどの夫婦だけれど、なんだかんだ40~50年。
たまたまかもしれないし、これからは分からない。離婚しないのが良いってわけでもない。
だけど祖父母のパートナーシップを目の当たりにしている私たちには、当たり前に添い遂げる人生がインプットされている気がしてならない。少なくとも私にはインプット済。
インパクトのある二人。近くにいると幸せがソヨソヨ泳いでくるようで。
祖父からは「愛の大きさ」を目の当たりにし、祖母からは「繋がり」をもらい、母が「表現」してくれて、孫やひ孫たち一同で受け取り、私は記録する。
我が家に脈々とつづく『当たり前』のパートナーシップは、大好きなおじいちゃん、おばあちゃんが魅せてくれていた。
さてさて、私たちはどう生きようかね。