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「占い師」として大切なものを置き去りにしたら
「何やってるの?」
「主婦」
この回答は嫌で、今年に入ってから「占い師してる」と答えていた。
おそらく雰囲気からも過去の経歴からも占い師っぽくないので、興味も持ってもらえるしお気に入り。分かりやすい肩書があった方がいいなと。
だけど同時に「占い師」と答えることで、コトバの呪縛をかけていたのも事実。呪縛や洗脳に自らかかりやすいタイプなのである。
かけていた呪縛とは。
“占い師として抜きんでたものが必要”
特に視える人でも感じるのが強烈に強いタイプ(家系)でもないので、霊感では売れない。タロットをメインにやっていて、受けてくれる方々はとっても喜んでくれるし、リピーターさんが多いってことは、たぶん何かはいいんだろう(笑)
ただ、やればやるほど西洋占星術や四柱推命といった、生年月日で占う『命』を極められてないことに未熟さや歯がゆさを感じることが増えていて。
タロットだけじゃ足りない、命がなきゃ。
命が分かった方が、絶対もっといいものを提供できる。命がないなら、サイキック能力を鍛えたい。
得意の無いものねだりが始まっていた。
この2年、サイキック能力を鍛えられそうなものや、命を学べる講座や師匠を探していたけれど、ピンとくるものに出会えない。
最近、
「きたーーー!これだーーーー!」
と見つけたものがあったのだけど、学ぶ期間も金額もなかなかのもんだから、相棒のタロットを引いたよね。
全然、すすめられてないカードが出る。
そんなはずはないと、3かいくらい引いた。結果は同じ。
因みに3回もひいちゃダメ。分かってるのに、迷ったら引いてしまう。結果、更に迷いにハマる。
「2年も探しているのに、なぜ出会えない。師匠はどこだー!」
と叫びそうになった。占いは歴史が長いし、学んでる人も多いので、先に進んでいる人には学んだ方が早い。そう信じているのに、ぴたりとこない。
ぴたりの感覚を知っているからこそ、違うものは選べない。
◆
と悩んでいた4月後半。
そして、楽しみなGWに突入。
GW中は一段と自分本位に選択をしていたのだけど、良い感じにアンテナがひっかかるひっかかる。
ランチをした友にも相談をした。ひとしきり話を聴いてもらった後、彼女が言う。
「師匠っているの・・・?命、いらないんじゃない」
そう、そうなのだ。
心には微かに「私は探す能力がとても高い。なのに探してもないなら、もういらないんじゃないか」という気持ちはあったものの“命がないと一人前になれない”という思い込みの方が勝っていて。だからこそ、信頼する友に「いらないんじゃない」と言って欲しかったのかもしれない。
だけど決定打にはならなかった。
ちょうど同じ頃、ピンとアンテナがたった相手がいて、その方にリーディングをしてもらった。結果言われたことは
「現時点では、命の師匠いらないと思いますよ。命、使いこなせてますし」
同業の、かつ信頼して依頼した方から言われた言葉。なぜ自分の資質を『命』を見て読み解いてもらったからこそ、納得。
よし、命を極めるの辞めよう。
これを決めただけで、景色がパーッと広がった。もう驚くほどに。しかも、極めることをやめると決めたら、自分の中で腹をくくれて、リーディング能力が上がっている。
ただ決めただけで能力変わるの?!
変わるのだ。
捨てると決めたから。
命を極めない。
サイキック能力も追い求めない。
それを決めただけで、アイデアが湧いてくる。自分の得意なことが浮き上がってきてくれる。2年間探してるだけあって、2年間「命」に向き合い続けてるんだよね。ちゃんと詳しくなっているわけ。
◆
呪縛から解放され、捨てるものを決めて身軽になった今としては、「なぜゆえ、固執してた?」と思えるけれど、悩みにハマっている時は気づけない。まぁだからハマる。
今回の場合だと
①自分で名乗っていた肩書に縛られていた
「占い師」っていうからには、タロットだけじゃ足りない。タロットに長く向き合ってきた人ならそれでもいいだろうが、私は未熟者。一人前になるには命が必要(と思いこんでいた。)実際、命はあった方が俄然リーディングしやすい。
②まだまだ残る劣等感
他者と比較して、ないモノ探しばかりをして、あるものに目を向けていなかったこと。あるある過ぎて、詳細書く気にならないね。
③自分のど真ん中を忘れていた
肩書として占い師を使っているだけで、一番大事にしてる、目指しているのは、人生実験をし続けることだし、新しい形の教祖であること。ねぇ、教祖ってそんなフラフラしないから。新しい教祖は迷いながら作られているのである。
呪縛をほどいて、劣等感をよいしょと置いて、道の真ん中をまた歩き始める。身軽ですよ。