内面的成長のカギ
父が還暦を迎えた。
昔からとても父には愛されているとおもう。
それに、上の兄より娘贔屓な環境でそだった。
それもまた、この父のおかげというものだろう、
しかし、その愛が鬱陶しく感じる時期もあった。
単身赴任で家を開けることが多かったためか私たち兄妹の成長についてこれていない面が多いに影響しているとおもう。
今も感謝はあれど、受け入れ切れてはいない面もある。
私たち兄妹が、まだ小さかった頃、いつからか覚えて居ないが、土日は決まって父が釣りに私たちを連れて行った。
といっても、結局父が釣竿の仕掛けから全て準備をして、釣り上げた魚を針から外すのだ。
なので、私たち兄妹は釣りの準備の仕方は、からっきし、しらない。
最近になってもっと学んでおけばよかったなぁなんて思う。(まだ遅くは無いんだと思うけど、最近父は釣りに行くのを挫ける事がふえた。体力の問題だと言っていた。)
でも、帰りに食べるアイスの味や大物を釣り上げた時に一緒にはしゃぐ時間はとても楽しかった。
一度私の卒業式に来た時もニコニコ顔でカメラを片手に教室まできたりした、少し迷惑だが可愛らしい一面もある父なのだ。
そんないい父親な父だけど、
とんでもない大酒飲みだ、それも、酒に呑まれているタイプの。
酔うともう、人が変わってしまったように暴れる。
あの人とお酒は本当に相性がわるい、
だめなのだ、体重が増え過ぎて薬を飲む量も増えていき落ちこんでいたはずなのに…
夜な夜なお菓子の棚を空にしたり、夕飯の残りを空にしたり。
ビールはプリン体が多いから糖尿病の人のカラダに悪いからと、テレビかネットで知ったであろう知識を語りワインにハマった頃は、家中に紫色の染みが増えた。
(ちがう、種類じゃなく、量なのだ…。もっとも、父の場合は)
うちの壁は防火対策で少しトゲトゲした触り心地なのだが、
白い壁なのに、
酔った父が腕を削って一部赤くなっていたこともあるらしい。
シンプルに怖いし心配だ…
呑んで癇癪を起こすと、物は叩き壊すし(家や、家具が所々こわれている。)
何かにつけて怒り出したりする。
そうなれば、誰にもどうにもできないのだ。
なんなら、自分で買ってきたプリンを酔って食べ誰かに食べられた!と騒いでいたこともある。
あの人にとっての一番の敵は酔った自分なのだ(虎年の生まれなので、母が、暴れ虎とよんでいる。)
そんなこんなで、単身赴任な事の多い、暴れ虎と父親の二面性を持つ父と
思春期だった兄妹 まあ、問題しか起きない。
この頃にはもう、父と私たち兄妹が一緒に出かけることはなくなっていた。
私は友達とよく遊び、兄も自分の趣味に没頭して父も土日に帰ってきても、移動で疲れて夜は酒を飲む
次の日の朝も一人で早朝から釣りへいく、
そんな日々だったので私達には話しをする時間が足りなかったのだとおもう。
今となっては、もっとお互いに興味を持つべきだったんじゃないかとおもう、
兄はそんな事考えたことも無さそうだけれど。
まぁ、それは置いておいて、
そんなこんなで私が高校生くらいの頃帰りが遅いのだとか、友達だけで旅行にいくなんてありえないとか(もちろん自分で稼いだバイト代での、旅行)
頭を撫でてこようとした父親に難色を示した辺りでとても揉めた。
しかも、毎度大ごとにして、家族会議を開くから、と呼ばれていくと、大抵親の言うことを聞きなさいだのお前は養われてるんだなんて説教をされたもので、
結果会議ではなく、命令なので思春期の私は守るわけもなく…
友達との旅行中に鬼電が掛かってきた時は流石に少し引いた。
冗談も上手く通じなくて一度揉め、父とのLINEでスタンプを使うのが禁止になった。
まぁ、割愛してはなすと、特に父親とはそんな感じで距離感をはかるのに大変苦労したのだけれど、今では割と上手くやれていると思う。
というのも父親の過保護対応が、私たちの成人を気に直接的ではなくなり、母への愚痴になったからでしょう、
そんな事を薄々知ってはいるし、(母が時折私に愚痴るのもあって、)
そのせいで次は母が(更年期もあいまって)攻撃的になっているんだろうなぁと
そこに少し頭を抱えるのだけれど…
親は子供と共に成長する、なんていうとおもうのだが、
大人…とは
一度社会に出て、子供には大人のフリをしているけど、大人相手だと、全く大人ではない人ばかりなのだと知った。
正直心底驚いたし、なんだか、すこし世界の秘密を知った気持ちにもなった。
ある意味自分も社会から大人として扱われているのだと言う気持ちになった。
それに、
(これは偏った偏見でしかないのだけれど、)
子供の居る親である大人よりも、
未婚で、周りに子供の居ない大人のほうが自分で情緒を調整できずに急に癇癪をおこしたりする、内面が子供な人だった。
もちろん、親をしている大人達も職場柄しょうもない陰口を叩いている人もいたが、
前者と後者の違いは、元からの性質もあるだろうけれど、子供を育てるという、経験の差なのでは無いかと思った。
何処かで子供の頃に色々な経験(例えば海外旅行)を出来た子供は賢く育ちやすいと聞いたことがある。
これもまた、幼い頃に日常では得られない経験を経て何かしら内面の成熟に影響があったからなのではないかと思う。
もちろんカッコいい大人(ここで言う思想や考え方を確立しており、しかし、人の話を傾聴する余裕のある、考えることの出来る人物)とも出会った。
でもその人たちにもまだまだ至らない所なんていうのは存在する。
思春期を迎えた男女は女子の方が内面的な成長が早いことのように、年齢と内面の成長は完璧に比例しているものではない。
なんなら、男子は幾つになっても少年だ、とか言ったりもするし、法律上の大人と内面的な成熟は全くの別物なわけで、
人生は一生勉強だと言うが、私は、この言葉は人間の内面的な成熟においてもそうなのだと思っている。
まぁ、この理論でいくと、死ぬ間際の老人でさえもそう言う意味では、大人では無いのかもしれないが…
一般に優秀だと言われる経営者なんかは新人バイトの発言も自分の糧となる知識だと思えば傾聴して学びを得ようとするハズなのだから、
どこからでも学ぼうとする姿勢こそが
その人を優秀たらしめる秘訣なのだとおもう。
成人を超えて、同級生達の中には結婚したり親になっている人もちらほら出てきたのだけれど、
私はまだまだ自分が結婚する未来は、想像もつか無いし、子供のいる生活を送った事がないので、親の気持ちはわからない。
それでも、父親の健康の為にと、母が最近散歩に連れ出すのですが直ぐに足が痛いと挫折したり、帰りたがると母がボヤくので、
気分転換になるかしら、と、たまについていってみたり、
一人暮らしの兄も誘って週に一回あるか、ないか、くらいのご飯会には、なるべく顔を出すようにするなんて言う気遣いはできるくらい自分も成長したと思っている。
まだ、呼んでもらえることに感謝するくらいまでは辿り着けていないのだけれど…
もしかしたら、自分も、ほんの少しだけ大人になれているのかもしれない。
話しを冒頭に戻す。
父が還暦を迎えた。
還暦というと、おじいちゃん や、もう、そろそろ社会人の第一線からは引退時というイメージが浮かぶ。人生の黄昏時が近い、と
そうか、そんなに歳が離れていたのか…と
自分はまだ、20年そこらしか生きていない、
つまり少なくとも父とは40年間分差があるというわけで…
そりゃ、価値観も考え方も違うし過保護にもなるよなぁ、と
友達の親なんかと比べても多分年齢層は一回りか、もしくは、二回り離れていてもおかしくはない。
何かとつけてうちの親達は年齢を教えてくれなかった。特に、母は…
それはある種のある程度歳を重ねた学校の先生がキッズに年齢を聞かれた時に言う「先生は永遠の18歳だから」的なものだとおもっていた、
私もそれ以上追求したりしなかった。
もちろん、小学生の頃くらいからなんとなく自分の親は高齢なのだなぁという感じがあった。
先生や年上の人に親の年齢を聞かれたときその曖昧に教えてくれた年齢を答える度に
「結婚するのが遅かったんだねー」なんてよく言われたし、そのあと上に兄が居るのだというと、
決まって「あー、それならまだそうでもないかもね」と続いた
そして、私たち兄妹が喧嘩をする度父が、
「お前たちは二人だけの兄妹で助け合って行かなくちゃならない、いつかは俺らは先にいなくなるのだから仲良くしなさい」
と言っていた言葉をおもいだした。
思春期の子供に言っても真っ直ぐに受け取れないであろうすこしヘビーなその言葉は
なんだか少し現実味を帯びた言葉になった。
私の中で色を、意味を持った言葉になった…ような気がした。
還暦のお参りから帰ってきた父は母に、もう、還暦なんだぞ…とボヤいていたらしいが、
母の話し(すこし)
母は、でも、人生100年時代って言うじゃない?だから60歳は人生の半分少し過ぎただけじゃない、といいつつ、私にバラしていた。
なるほど、そんな考えもあるのか…と
そこで、思いだした、人生は一生勉強だと言う言葉
あれは、母から聞いた言葉だったなぁと
なんだか、少し仙人のような節のある母
私たちが保育園児の時から喧嘩をする度
ほら、繰り返して、といって
己の欲せざるところは人に施す事なかれ
※思い返すと、これ以外にも、孔子の言葉をよく、教育に持ち出したり寝る前のお話しをせがむと、落語の話しをしていたり。さまざまな特殊な英才教育をうけていた笑
と言ってきかされ、私たちを育てた母…
そんな母はどこか達観した子供だったらしい。少し研究者気質で知識と活字を欲しているタイプの、
なるほど…元からの特性により勝手に経験値を積むタイプもいるのか…と、
まぁ、そんな母は結構な人見知りで対人関係においては秀でた人物ではないらしい。
しかしながら、その圧倒的な知識量と考察力は職場なんかでは一目置かれているようで…
はなはだ謎の深い人物である。
まぁ、そんな両親を持つ私なのだが、
私自身も小学生くらいから達観した子供だったようで、母のような謎の研究者魂は持ち合わせていなかったが母の教えをしっかりと吸収してきた私は浅く広い知識を身につけてきた、
最近わかった事なのだけど、年齢の割に口調が落ち着いているらしい、それも相まって私自身、大人っぽく見えるらしい。
大事なのは、 見えるらしい と言うところで
実際の所はまだまだだと思う、
もちろん同い年の子達よりお陰様で様々な経験をしてきたつもりではあるのが関係しているのか?
去年なんかはよく、
夢や志しを語るとその年齢でそこまで考えるのは凄いと賞賛されることが多かった。
けれど、実際のところは感謝はあれど家族愛を受け入れきれていない所なんかがある、その辺りに自分の、内面の成長の足り無さを感じる。なんだか、照れ臭い気持ちがひた隠しにしているだけなのかもしれないが…
実のところ家族を大切にすると言う言葉はすこしピンとこないところがある。
父が還暦という、単語には
父や母への感謝を言葉や行動で示せるような大人では無いということを知るきっかけになるような
不思議な感覚をおぼえた。
それに、父は、1歩進んで2歩下がるような方法ではあるが変わっている。最近はダイエットを頑張っているのだと言ってお昼ご飯を抜いて散歩をしている話しをしていた。
無理なダイエットで倒れて欲しくはないが、糖尿病はもっとこわい。頑張れ…
それに、単身赴任先から帰ってくる時は少なくとも禁酒、減酒に努めているようだ…
父のことだから向こうで心置きなく呑んでいるのかもしれないが、休肝日があるのはいいことだとおもう。
まぁ、もう少しばかり元気に長生きしてほしい、とおもった。
それと、無関心な兄にも父の還暦について聞いてみようとおもう、何かプレゼントのひとつでもよういできたらいいのだけど…
ふと、きづく、父の欲しそうなものなどよく分からないのだ、お酒好きだが、体調を気遣うとプレゼントには選びづらい、趣味は釣りやパソコン関連品だが、その辺は自分で全て揃えているし、老眼もきていると言っていた父にApple Watchは使いこなせそうにない…(そもそもスマホがAndroidだし、互換性もわるそうで…)それ以外はよく知らない。
もっと、話しをしてみなければいけないのではないか、と私たち親子には親の誕生日を祝う習慣もほぼない、そう、お互いを理解する時間が足りないというより、私たち兄妹が親と向き合う気持ちが足りなかったんじゃないか…と
これでは、プレゼントを贈る段階にも辿り着けていないぞ、と、それより前の向き合うということすら足りてないじゃないか、と、なんだか焦りを覚えた。
2060年自分はどんな還暦を迎えるのだろうか…
そんなこんなで偉そうな口調での、話し。末文まで読んでくれた優しい方へ
大人なんて大きな題材について触れてみましたが、
まだまだ、内面的成長中の経験値不足な者が語ってます。拙い文に足りない思考力で記した文章は、
世界の隅っこのnoteの端に書いてあった落書きとしてでも読んでみて、伝える為というより記録として書いた文だけど。
あなたの心のどこかに落書きでいいから残る言葉を選べていたらいいな…