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五重になっている友人の欲しいものが分かってうらやましかった話

友人がもうすぐ誕生日。xx歳になるのはどんな気持ち?ときいてみた。

昔観た特撮もので,マトリョーシカのように「脱いだらひとまわり小さい自分がいる」というタイプの特撮ヒーローがいた。そいつは5重くらいになっていた。いま「xx歳になるのがどんな気分か」と問われると,あのときの特撮ヒーローみたいに,自分もいまの自分の皮を脱げば,自分の中にひとまわり小さい自分がいて,それを脱いだらまた小さい自分がいて・・・という感じに,5重くらいになってきている感じがする。目の前のことへは現年齢の自分が対応しているが,各世代の自分たちも自分の中で生きていて,それぞれ考えたり,言いたいことがあったりする,みたいな感じ。あと,今年はその,10年に一度くらいの,「新しい皮ができる年」にあたっている気がする。

あら,興味深い。もうすこしきいてみよう。

「ひとまわり小さい人達は,何歳くらい?」

ひとつ下の皮が30代で,その下の皮は24歳。その下の皮が12歳。その下が6歳。24歳の子が思いっきりやったらよかった!と後悔してたいろんなことは,この10年くらいできいてやって,できるだけやってきた。だから,その24歳の自分は,けっこう満足してきた感じ。

「へえ。じゃあ今度は誰が話し出すんだろうね。」

24歳の子が満足してきたから,つぎは12歳の子が話し出す気がする。12歳〜24歳までは,(自分を殺そう)って思ったこともあったし,何も考えないようにしてた時期でもあるから,まだ,何を話し出すか全然分からない。

「へえ・・・。12歳の頃の自分がやりたかったことって憶えてる?」

なんか,プラモデルばっかり作ってた。

「へえ。じゃあその子は,今もプラモデルやりたいのかな?」

うーん。プラモデルよりレゴやりたいな。レゴの,面白いパーツが入ってるセット買って,それを変形させたものをひたすら作りたい。

おお。12歳の人の "ひたすらやりたいこと" が出て来た。

そしたら私は突然,その子のお姉ちゃんのような気分になった。そして「誕生日にレゴを買おう」と叫んでいた。すぐにトイザらスに連れて行くと,友人は本当にかなり熱心にレゴコーナーを見て回り,手に取ったり,置いたりしながら,ひとつ選んだ。潜水艦みたいなのだった。地面パーツが入ってない。「地面は要らないの?」ってきいたら『地面は要らない。』とのことだった。その取捨選択の明確さがうらやましかった。

私は自分の欲しいもの(欲しくないもの)があまりよくわからない。だから「自分の欲しいもの(欲しくないもの)がはっきりわかる」ということへの憧れが強い。友人にレゴをあげたくなったのは,友人が12歳の自分になって考えたとき「ひたすらやりたいこと」を一つ思い出したことへの,お祝いみたいな気分でもあり,敬意でもあった。同時に,自分が「欲しいものがよく分からない」ことへの自己卑下みたいな気持ちもあった。

「マネーの虎」だっけ?ああいう番組で,融資希望者たちに,やりたいことをきいていって,「本当に熱意のある者に俺はお金を出したい」みたいなこと言う金持ちの人がいると思うんだけど,ああいう人達も,お金はあっても自分の欲しいものがわからないから,あんなことやってるんじゃないのかな。