心を許せる友達なんていないと感じた理由を考えてみた
私には、心から気を遣わない友達って多分いない気がする。
ものすごく自意識過剰なのかもしれない。だけど、どんな友達といる時も私は気を遣ってしまい疲れてしまう。
「あ〜今は話聞いてあげようかな」
「こういうことは言わない方がいいかな」
「こういうこと言ってあげたほうがいいかな」
そんな風に考えてしまい、疲れてしまう。
そもそも、なんで私が「友達に何かしてあげるベース」で考えているんだろう。自意識過剰だ。何故友達の気分をよくしてあげようとしているんだろう。嫌われたくなさからなのか。よくわからない。
そもそも、友達の数も少ないが、その気心知れたはずの友達からですら、私は「嫌われるかもしれない」という可能性を感じているのだろうか。
頭では、そんなわけない、一生の友達だ、と思っているのにもかかわらず、無意識のうちに、「嫌われたくない」と思って行動しているのかもしれない。
もしくは、見下しているのかもしれない。心から尊敬している人の前で、そんなふうに気を遣わない。「ああこの話つまんないけど、聞いてあげなきゃな」なんて思っている。
見下しているのかもしれないな。
そうか、こちらが正解かもしれない。
どこかの時点で気付いてはいた。今いる友達と向かう方向が違うこと、会っていてもどこかつまらないと感じている自分がいること。
それならば、馴れ合いの関係に甘んじる必要はない。その沼から出て、次の場所に向かうのみである。
私は、自分のやりたいことをやり、次に向かうだけである。
まとめると、私が今の友人に気を遣っているのは、友人たちを見下しているからで、それは、今の私のやりたい方向性と友人たちのそれとでズレが生じているからである。
そこに悪い人はいないし、ただ、趣味が合わなくなった、それだけた。
ならば離れるのみ。時間の無駄である。
noteに書いてそれに気づけた。自分の心を整理するための散文だが。
今日も見てくださりありがとうございました。
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