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脱サラリーマンを決意するまでの葛藤

2年前の私


人と話すことが好きで
人の役に立つ仕事がしたい

と選んだ前職は目の不自由な方の相談員

常に学んで一生懸命に仕事と向き合って
また成長する自分を感じて

人との出会いにも恵まれて楽しくて
天職だと思っていました


14年ほど勤めた頃

年齢は39歳になり
子どもが一人から二人になり
職場での立場や人間関係も変わって

コロナが始まり、とにかく色々なことが変化して…


今まで以上に頑張っているつもりが
どんどん空回っていく

今までちょっと頑張ればできていたことが
どんどん億劫で苦しくなっていく

もっと人に喜ばれて認められる自分にならないと!
と、執着すればするほどに

一番認めて欲しい人に
認められない現実がやってきて

心がどんどん拗れていきました。


心身ともに疲れ切っているのに
「〜しなければ」「〜すべき」をがっちりフル装備で


毎朝のように癇癪する長女にイライラ
時には手を上げてしまって、
出勤途中の車で罪悪感の涙…。

明らかに回ってない仕事と暮らし
明らかに笑えていない自分

あんなに好きだった仕事を楽しめなくなった自分



「私、こんな人間やったかな」
「なんのために生きてるんやったかな」

この自分への問いを持った時
今まで見てこなかった「外の世界」が急速に目の前に広がりました。


心は確実に「フリーランス」という働き方に惹かれていく。


でも初めは、
「家のローンもあるし、そんな不安定なの無理無理」

「子どもも小さいし、しばらくは我慢しないと仕方ない」

「特別な才能もないし、私にできるわけがない」

と蓋をして、諦めようとしていました。


でも、どんどん「そっち側」の情報が入ってくる。

「私にももしかしたらできるかも!」
と言う根拠のない期待と自信がむくむくと湧いてきて。


そこに、体調を大きく崩し、
もう今の居場所には居られない
と感じる出来事が次々と起こりました。

そこでようやく、退職を決めることができた。
この瞬間がとても、幸せで鳥肌が立ちました。

〜すべき
〜するのが得
なんていう外側の価値観でなく

誰かに喜ばれるためでもなく

「自分のしたい」で「自分のために」
これからの道を決められたことに。



今思えば、目に見えない後押しを得て、導かれていたと思います。
純粋な自分の意思だけでは、こうならなかったかもしれない。


違和感に蓋をしていた時期は
もっと短くできたかもしれないけれど

きっとこれが最善で必要な時間だったのと思います。


あの頃の自分があるから

いい時も悪い時も、自分を好きやなぁと思える今の自分がある。

「あー今日も楽しみやなぁ♡」と過ごせる毎日がある。


今が苦しくても、それはきっと最善の何かに繋がっている♡

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