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子どもとの初めての「書道」で気づいたこと

令和が始まりましたね。平成の最後の日に何か記念してやれないかと子どもといっしょに書道にチャレンジしてみました。もちろん、書いて楽しむということもありますが、書道における学びの身体性を確認してみたいと思ったからです。

他者と身体をつなげるのための技術

本題に入る前に、芸術や芸能に携わる人間にとって、指南書的な存在である世阿弥の「花鏡」について少し触れたいと思います。

このなかで「離見の見」という言葉があります。これは「離見を自分自身で見ることが必要であり、自分の見る目が観客の見る目と一致することが重要である」ということなのですが、「○○道」と言われる世界でも、この身体感覚がとても大事と僕は考えています。「遊び」は芸の肥やしなんてということもよく言われることですが、その虚構性に他者への説得力をもたせるには、他者の心や物事の機微をつかむことを実感としてもっていることが重要になるからです。また、型が重視されるのも、きちんとその芸を継承させていけると同時に、その虚構性に対してある世界観(社会性)をもたせるために、決まりごとが非常に有効だからです。(あくまでも僕の持論なのであしからず)

まず「常用漢字」という型がある

さて、そこで今回、小学校2年生である自分の子どもに「平成」と「令和」というまだ習っていない漢字を毛筆で書いてみることにしました。最初は、筆で描かれた線の集合体となってしまうことに気づきます。もちろん、はらい、とめ、はねについては、ひらがなとカタカナ、小1時代に常用漢字を学校で習ってきていることもあり、漢字の書き方はわかりますので、あとは、それを表象化できるようにするにはどうするかです。ここには筆の使い方が重要になります。これは、もちろん大人である親でも難しいことで、まずは道具の使い方、つまり道を極めるということに繋がるのですね。

次に、手本の存在

今はネットでたくさんの優れた書道家の作品をみることもできます。そこでいいなと思う書道家の文字をまねるところから始めてみました。TEDにも言語習得について、興味深い動画がいくつかあります。そのなかで、デブ・ロイ「初めて言えた時」はおもしろいですよ。

日常に近いところにある常用漢字(型)をまなび、それを繰り返す。これはまさに言語習得のプロセスと同じということがわかります。

教育2.0のようなアップデートはありうるのだろうか。

子どもと書道に触れてみて、わかったことは、筆を使って描く経験はけっこう夢中になりやすい。それは、身体性のある学びとして、技をレベルアップ(習得と成長)させていける楽しさと、試行錯誤を繰り返しながら、身体と対話し、身体知を構築できるおもしろさがあるからです。

何らかの思いやメッセージ(衝動という方が正しいかもしれませんが)を表現したい場合は、原型となる型やわざの習得と同時に、身体性が大事になります。自分のイメージ(虚像)を表現(実像)するには、そのために準備されている身体ができていないと難しい。さらに、それを統合できるマインド(心)が必須になります。まさに心身一如ですね。

たぶん、今の公教育に足りていないのは、この部分です。一人ひとりの興味関心や学びの身体性を、同じ方向にさせないといけない。さらに、その評価は、ある標準化された基準で、クラス担任や教科担任によってなされる。個々の能力や感性、身体知はまったく一人として同じということはないにも関わらず、そこに向き合い、一人ひとりの成長に寄り添うことが難しいということです。

臼井さんの、「子どもの身体を踊る」というワークショップにも触発されながら、僕もそんな一人ひとりの身体性に気づけるワークショップ、そのための方法論を検討してみようと思っているのです。

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