生きづらいねなんて言いながら、私たちは23時の赤坂駅に向かうのだ
21:00。
本日の仕事を終えてノートパソコンをパタリと閉じる。
職場に残っていたのは私を含めて3人。女2人。男1人。
みんな同じフロアで仕事をしているけれど、所属が違うから時間を取って話をしたことはあまりない。知っているのは、私たちがそう年の離れた人間ではないということ。
私は帰り支度をしながら
「外、寒そうですよねー」
と当たり障りの無い会話で、エアコンが切れたせいで少し冷たくなった空間を埋めようとする。
「今日ダウン着て来ちゃいました」
まゆ子さんは、はにかみながらそう答えた。
ちなみに、女優さんみたいなキリッとした顔立ちで綺麗な眉毛が特徴的だから勝手にそう呼んでいる。私が、心の中で。
その隣でハイチェアに座りながらパソコンをカタカタと打っている男性。
背高さん。背が高いから背高さん。(以下略)
散らかった仕事道具をいそいそとカバンに詰め込み、ペットボトルに入ったお茶を飲み切ろうとしていた私の前で、まゆ子さんがふぅとため息をついた。
珍しい。
私もあまり詳しくはないが、まゆ子さんは職場の中でも仕事ができることで有名で、心遣いができていつも優しく微笑んでいる姿が普段から印象的だからだ。
「どうかしたんですか?」
私はスマホに映った電車の時刻表をチラチラと見ながら声を掛けた。
「実は、この春で仕事を辞めるんです。」
とまゆ子さん。
なんと。これは予定していた電車では帰れそうにない。
私は肩に下げていたカバンをその辺の椅子に置いて、話を聞くことにした。
どうやら、まゆ子さんは職場の人間関係で悩みが生じて退職することにしたらしい。
人間関係というと、例えば上司とソリが合わないとか、同僚に嫌な人がいるとかそんな事を考えがちだが、今回は違っていた。
「私、他人に心を開くのが難しいんです。だから思うように言葉を伝えることができなくて苦しくなっちゃうんですよね。」
と彼女は言った。
誰がどうだとかいう話ではなく、自分で自分を追い詰めてしまうタイプらしい。
その結果、自分を出すことができず長くその職場で働くことが困難になるそうだ。
心を開くのが難しいと言う割には、なかなかパーソナルな悩みを私なんかに話してくれるもんだな。と、もう1人の冷静な自分が余計な事を考えてしまったのだけど、今思えば違う部署の人間だからこそ話やすかったのかもしれない。
「どんなに仲が良くてもどうしても、壁を作ってしまうんです。ほら、こう見えない10cmの壁がね、ある感じなの。」
と彼女は続けた。
驚きである。
私も全く同じことを考えていたからだ。
私も昔から超が付くほどの人見知りで、無意識に壁を作ってしまうタイプだったから。
しかし、これを言うと「冗談でしょ?」「嘘つくなよ〜!」とか言われる。ホントだよ。
沈黙が怖すぎるが故にいわゆる一つの防衛策として、こっちから喋りまくるタイプの人見知りなのだ。
気づけばもう、その場にあった椅子に腰を下ろしてじっくりと話を聞いてしまっていた。
それから、まゆ子さんは心を開けない自分を正す為に常に笑顔を心がけていた話や、その原因となった幼少期のエピソードなどを話してくれた。
いい大人2人が膝を突き合わせて感傷に浸っているのも、なかなか無い光景だけれども暗くなった建物の外と誰もいないオフィスが、私たちをそうさせるには充分だった。
「あ、あの…。すいません。ちょっと話聞こえちゃって、僕も仲間に入れてもらえませんか?」
すっかり忘れていたが、背高さんがオフィスの片付けを終えてそこに立っていた。
「あ!どうぞ…!こちらへ」
私はとっさに、隣にあった椅子を背高さんの方に差し出した。何の偶然か、背高さんも実は超が付くほどの人見知りだそうで、それについて悩むことが多かったそうだ。
実はというよりは、なんとなくオドオドしている感じがあるなと思ってはいたけれど、それは彼が異常に周りを気にしすぎる性格から来ていることも話してくれた。
同じ心のわだかまりを持つものはどこか共鳴するものらしい。
それから私たちは、幼少期から現在に至るまでの様々な悩みを打ち明けた。
それはまるで、学生時代の休み時間に机を囲んで笑い合ったあの頃の同級生のようであった。
「あ、もうこんな時間だ!」
まゆ子さんのひとことで、スマホに目をやると時刻はもう23時を回っていた。
バタバタと持ち物を集めていると、背高さんがいなくなっている。
オフィスの端に目をやると、それぞれのデスクの下に置いてあった小型ヒーターのコンセントを一つずつ抜いている彼の姿が。全てのコンセントを抜いていないと心配になってしまうそうで、彼は退勤する前にみんながいなくなったオフィスで毎日これをやっていたらしい。
「こうしないと、不安になる性分なんです…」
と泣いたような笑ったような顔を上げて私たちに言葉を投げた。
急いで会社を出て駅に向かう私たち。
三人横並びになって、各々のポケットに手を突っ込みながら早足で通りを歩いた。
「冬の空気ってなんだか良いですよねー」
とか、「あの角の唐揚げ屋さんが、おいしいんですよー」なんて当たり障りの無い会話をしたけれど、それはもう空間を埋めるための会話ではなく、私たちだけの空間を繋ぐ会話であった。
帰って寝たら、私たちはこの世の中を生きて行く為、社会人として、ちゃんとした大人としての役割を演じる朝がまたやって来るのだけれど
「生きづらいよねー、私たち」なんて笑って言い合える時間があったことをたまの夜に思い出しては安心して眠るのだろう。
「じゃあまた明日!」
発車を知らせるチャイムを背に私は電車に飛び乗った。