見出し画像

【メンタル⑥】会社では鎧を着ている



鎧を着ているとは?

鎧と言っても、コスプレの話ではありません。

会社では、それぞれに役割があります。
課長、部長、役員、社長。
リーダー、営業、研究、コンプライアンス担当など。

それぞれの役職、職種には、
「〇〇する仕事」
という役割定義が存在します。

その役割にあてがわれた人は、役目を果たせるように頑張るのです。

「私は仕事中に鎧を着けている」

私の友人で、そう話してくれた人がいました。

部長は皆の手本になるべき、リーダーはいつも前向き、コンプライアンス担当は厳格でなければいけないなど、頭ではわかっていて演じているのだけれど、時々ふと、

「リーダーとして頑張ってるけど、本当の自分はもっとネガティブなんだけどな」

とか、思ってしまうとのこと。

自分の本性と会社内での役割とが違えば違うほど、違和感は大きくなり、頭ではわかっていてもなんだかしんどくなってくるのだと思います。

それを、鎧を着ている、と表現し、動きにくさを表しているのでしょう。

自分を知ると役割を演じるのに違和感がでる

会社で役割を果たすのは当たり前だろう、と思われるかも知れません。
実際に私もそう思っていました。

でも最近思うのは、自分らしさをあまり自覚していない間は、演じるのは比較的楽で、自分らしさを自覚すればするほど、演じるのが苦しくなってくるということです。

自分を知るとは、ある意味では自分を客観視できるということだと思います。自分を客観視できると、「私は〇〇という人間なのに、なんでこんなことをやってるんだろう」と思ってしまうのではないでしょうか。

社会に馴染むための防衛機制

心理学の用語として、防衛機制という言葉があります。防衛機制とは、危機や困難に面したときに不安を解消するための無意識な心理メカニズムです。

好きでもない仕事をする理由として、お金のため、という言葉は便利ですが、これも一種の防衛機制なのかも知れません。お金のためであれば、こんなことをやっている人生でも価値があるのだと思うことで、自分を納得させているという意味で。

まあ、お金のためというのは本当に生きるための現実的な理由なので程度の問題もあり、少し解釈が難しいように思いますが、どうも私には、お金という社会的な価値のあるものによって、自分らしさを発揮することが妨げられているように思えてならないのです。

そんなことはない、自分らしく生きながらちゃんとお金も十分に得られている人もいると言われるかも知れません。

私自身、そう言えるような人生を送りたいと思っています。
鎧を着ていると自己認識している人は、そのための一歩を踏み出していると言えるのではないでしょうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?