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再読のすゝめ
はい、ジーフー です。
SNSの先生になかなか忌憚のないフィードバックをいただきながら、読んでくださっている方を思いながら今日も書き書きします。
ジーフー は割と読書します。
そして気に入った本などは再読します。
その感覚は早くて1年くらいでしょうか。大体3年から5年くらいしたらまた読んでるような気もします。
特に漫画で気に入ったものは、10回くらいは繰り返し読むと思います。
実家にある横山光輝三国志全60巻もその位繰り返し読みました。
理由は大きく2つあります。
1、手持ち無沙汰な時間に手の届くところにある。
2、定点観測※によって自分の変化を実感出来る。
※定点観測:同じ場所から撮ってその変化を知って分析する方法
です。
最初から感動出来たらすごく出会ってしまった感はあるものの、例えば他の人から薦められたりした本の場合、自分都合ではないために初見はなかなかに消費カロリーが高かったり、理解できなかったり、同意出来なかったり、とまあ結構大変だと思います。
そのため、
本を読む時間 < 読み始めるまでの時間
という図式が生じているような気がします。
さて、ここから余談です。
皆さんは、「サザエさん」や「となりのトトロ」を見ている時、自分が誰目線になっているのか、その目線の変化を感じた経験はありますでしょうか?
男のジーフー は、サザエさんならカツオ、となりのトトロならカンタで始まったのですが、今はマスオさんだったりナツキとメイのパパの目線で見ている自分がいます。
お分かりでしょうか?
作品は昔見たときも今見たときも基本的には登場人物やストーリーは変わっていません。
それなのに、自分が感情移入したり似たような言動をする人物に変化が生じます。
時間による状況の変化を感じるわけです。
他の例で言いますと、高校数学で出てきた微分や積分、物理の話など、初見ではよくわからなかったのですが、そのあと、大学で毎日、毎時間微分積分を使って授業を受けていると、段々と理解が進んできて、
(なんであんなに難しく思えたんだろう?)
とまで考える事もありました。
それは、自分が変化したからだと思います。
はい、戻ります。
同じ本でも、読むタイミングによって違ったように映るわけです。
(あれ?! こんな事書いてあったっけ)
(あの時はよくわからなかったけど、今読むとすごいよくわかる)
など
もちろん、自分だけではなく、自分を取り巻く状況の変化も作用しているとは思うのですが、同じ本が違って見えてくる感覚を何度か味わいました。
実際、名前だけ頭の片隅に覚えてはい終わり、になっている本も多数あります。
そんな中、あの四字熟語
温故知新
をしてみるわけです。
論語でいうと、学びて時に之を習ふ、ですね。
加えて書くと
再読の良さは、一度読んでいるので抵抗感と労力が少ない割に、結構中身が頭の中に入ることでもあります。
映画の話をするように、本の話をしようと思う時にちょっと寂しいのは
ジーフー 「あの本で書いてあったアレあーだよね」
相手「んー、前に読んだけど内容忘れちゃった」
こんなやり取りです。
まあ細かく覚えている必要は無いのですが、たまに生活にも使えることが書いてあったりするので、忘れてしまうのは少し勿体ないオバケ(←若い方、わかりますかのう)な気もします。
そんなこんなで、
今回は
再読のすゝめ
でした。
今日も「坂の上の雲」の再読と刃牙の「史上最強の哲学入門」と愛妻から薦められた「世界は分けてもわからない」を読んで過ごすジーフー なのでした。
オススメの本などありましたら、ご紹介お願いします。
つづく