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09_決意

少年は、その美術展で特選に選ばれた事で、好きなことが認められたのだった。
当の本人は、さほどそのことを意識していなかったかもしれないが、おそらく自分には、コレがあると言う自信となり、自己肯定感が確立されたのでしょう。しかし、これが後に彼の人生に大きな影響を与え、様々な悲喜劇を起こすことになったのは、まだ先の話。

そう言えば、少年が最も嬉しかったプレゼントに「模造紙のロール(縦が約1m、長さは約20m)」があった。絵が好きな少年にとって、白い紙は、宝物でした。これをプレゼントしてくれたのは、確か母親の弟だった。その叔父さんも絵描きを目指していて、少年が働き出した頃、二科展に入選したことを母親から知らされたことを覚えている。

とにかく少年は、この後、中学3年生になり、高校受験が視野に入ってくるのだったが、実は、高校には行く気がなく、すぐに働くことを考えていたのでした。
そんな折、美術部の顧問でもあった岩本先生が、とある高校の存在を教えてくれた。大阪の阿倍野にある「大阪市立工芸高校」だった。ここには、図案科・美術科・写真科・建築科・木材工芸科など、かなり特殊な学科があって、しかも公立。そして、工業高校の範疇に入るため、学区制の外にある高校で、東大阪市からも通えるのでした。少年にとっては、まさかそんな夢のような高校があって、自分にも受験できるチャンスがあるなんて、思いもしなかった。問題は、成績が見合うかどうか。。。

当時は、全国一斉の模擬テストがあって、受験時に志望校を書けば、その志望者数の中での順位がわかり、入学できそうかがわかるのでした。工芸高校の図案科は定員が80名。しかも、大阪府の各地から受験できるため、競争率も心配でした。蓋を開けてみれば、確か競争率は2倍。私の順位はと言うと。。。40位台。つまり、かなり余裕で合格できそうな感じ。
さあ、そうなると少年は、受験に備える気がほぼ無くなリました。余裕で合格できるだろうと。笑
小学生の頃から、学習塾に通う事も無く、授業中の態度も決して良い方ではなかった少年ですが、なぜか成績は悪くはなかった。きっと好奇心だけは、人一倍強かったのかも知れません。

おかげで無事に入学できました。そして、そこで少年は、たくさんの変な仲間と出会うのでした。
よく考えてみてください。中学生の段階で、こんな変な高校を選ぶ連中です。まともではない、生徒ばかりに決まってます。笑

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