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教育を考える―思いと言葉の狭間に

2023/3/16(木):教育を考える㉑
 今日は木曜日!教育について考えていきたいと思います。

 教育畑にいる方以外にも覗いてもらえると、我が子の見え方が変わるかも…?な大村はま先生の教えをご紹介しますので、ご一読いただけると嬉しいです。

言ってほしくないことばがあります。
 それは、第一に「わかっていることは言えるはずだ」というようなことばです。これは励ましのことばかもしれませんが、このようなことは、決して言わないようにしたいものです。そういうことはないのです。わかることと、それが表現できることとできることとは、別の力だからです。私自身、わかっていることが、みんな言えるわけではない。(中略)
 それから、これも励ますつもりのことばと思いますが、「努力すればどんなことでもできる」という言い方です。(中略)努力してもできないことは、山のようにあるのです。そういう言い方、人間というもの、人生というものを誤解しているような、あるいは、人間や人生の見方が浅いというのでしょうか。真実を知らないというのでしょうか、そういう言い方をしますと、人の集まりである教室は、たちまち魅力を失ってしまって、単元のすぐれた計画も、そのよさが消えていってしまいます。ちょっとしたことばの端から、そういうことになるのです。

「教えるということ」:大村はま P211~

 「心にあれば言葉は出る」という幻想は、自分も「言葉にできないもどかしさ」を感じているはずなのに、いつの間にかそれを忘れてしまい子どもに求めてしまったり、分かっているのにイライラ解消の為にそのような責める言葉をぶつけてしまったり…
 考えればわかるはずのことに目を瞑り、楽な方法、気分次第なかかわりをしてしまうことがあるのではないでしょうか。「はま先生のような人にズバッと言われると頷くしかないのだけど、自分のしてきたことを振り返るとできていなくて反省…」なんてことありませんか?
 これは教師だけに限らず、大人なら心当たりがあるのではないでしょうか。

 はま先生の教えから「あっ!!」と気付いて背筋を伸ばして少し意識して…その「あっ!!」を繰り返して、身に付くように努力を続けていきたいものです。(かくいう私も、夫に言ってしまうことがあります…夫、ごめんね。特に感情的になるとダメで…反省です💦)
 
 そして同時に、
「自分の言葉では足りない!『楽しい』なんていつもの言葉とは全く違う感覚なの!!」
 なんて自分のボキャブラリーに対する枯渇感をもたせるような経験をすること、「もっと」という欲を育てることは、とても大切なことだと思います。
 「受け止めてくれる誰かがいる」「伝えたい人がいる」「伝わった時に嬉しい」「『これ』といった言語表現に出会えたことは幸せで達成感がある」という子どもを取り巻く環境と教育を保証することも必要ではないでしょうか?

 また教育の現場では、どこか「現実を無視した理想論を語る」のが求められていることがあり、教師はその流れに乗っていれば安心…といった空気感や「理想を語るのが気持ちいい」というのがあるのも事実。そういう先生が周りにいるのも事実だと思います。
 そういった甘い誘惑に惑わされることなく、
「今、目の前に立つこの子の能力はどんなものなのか」
「この子にはどのような現実が受け入れられるのか」
「この子が生きる社会の現実はどのようなものか」
それらを正しく見極め、冷静に判断し、社会を見据えたうえでプロとしてのかかわりをできるよう、努めていきませんか?

今日はここまで!
最後まで読んでくださってありがとうございます。
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