教育に焦点を―「学ぶ」とは「勉強」とは何のためにあるのか?
2024/1/11(木):教育に焦点を⑮
今日も覗いて下さってありがとうございます。
今日、木曜日のテーマは「教育」。
年明け一つ目に取り上げたいのは、私達夫婦がお正月にいっぱいおしゃべりをしてきたテーマでもある「勉強」とは何なのか?ということについて。
このお正月、「我が子がなかなか勉強しない」という悩みをもつお母さんと話をする機会があったのですが、どうも話が嚙み合わない…
その後、夫との話のなかで見出した答えは
「私は将来的な長い目線で成長を見ているが、彼女は今日の宿題が片付くこととテストの点数を見ている」
「勉強の目的は人生全般に置いているか、点数や進学できる学校に置いているか…」
という差異があるのではないか?というものになりました。
私達夫婦の根本的考えは、テストの点数如何よりも、本人の中に「大好き!」「夢中!」が育まれたらいいな…なんて子育てを夢見ているのですが、彼女が見ている課題感は点数に比重が置かれているように思います。
…これは実際に子どもができたら、私達みたいな夢は語っていられない!ということなのでしょうか?
また彼女から子どもの勉強について相談されて話をすることは初めてではなかったのですが、過去に話をしたことを
「教えてもらったこと1回やってみたけど、成績が上がらなかった」
「こっちの想像の反応をしなかったから、やりかたが違うと思う」
など、長年かけて今の子どもの姿に育ったと思われることを、「一度の工夫や声掛けで、劇的に明日から思い通りになると思っている」「我が子を思い通りに動かすには秘伝の呪文がある」とでも思っているような節があるように見えるのです。
そして私たち夫婦と彼女の考え方の一番大きな根本的な違いが、「勉強=苦行である」という考え。
私は30前に大学院にすすんだこともあって、どこかで「勉強=楽しみ」であったりするのですが、彼女は「勉強や読書など学校ですることは苦行でさせたら可哀そうなことだから、子どもが勉強した後にはご褒美にゲームをさせてあげないといけない!!」と当然のこととして考えているようです。
私にはこの彼女の考え方が残念でなりません。自分で気づくこと、気付きを生かせることは何物にも代えがたい幸せでありこんなに病みつきになるものはないのに!こういった親の「我慢して勉強しなさい!」「魅力は分からないけどとりあえず本を読みなさい」と声をかけることは、「勉強は辛くてご褒美を用意されていないとする価値のないものですよ!」と刷り込む洗脳のようなもの。親のせいで子どもの気持ちや興味をそいでしまうのではないかと思います。
本来、子どもの考えや学びというのは子どもの知的好奇心に基づいて子どもが能動的に学んで初めて身になり、子どもの生活にも生かされていくというものなのではないでしょうか?
最後に私たち夫婦が大好きな安野光雅さんの著書にその示唆があったので、ここに紹介しておきます。
もうね!私たち夫婦が話していたことそのままを文章化してくれたような安野氏の主張に、是非読んで頂きたい!と思って引用しました。
「学ぶ」というのは本来的に「真似ぶ」であり、能動的なもの。
テストや学歴など、ついつい目先の数値に目が向いて、大人が発破をかけてしまいがちですが、長い目で我が子の財産になる能力「好奇心」や「自身」「探求心」を身に付けられ、それを喜べる大人でありたいと思います。