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教育に焦点を―子どもの優しさと残虐性

2024/2/15(木):教育に焦点を
 今日も覗いて下さってありがとうございます。
 木曜日は教育について考える日。今日は特に道徳教育について焦点を当てていきたいと思います。


 

はじめに


 さて、道徳…正直、昔よりも「多様性」が叫ばれている今の方が、道徳心や正しさについて考え伝えることは難しくなっているのではないかな?と思いますが…皆さんの家庭や仕事環境、教育環境ではどうでしょうか? 
 今日、教えを頂くのは倉橋惣三さん。「日本のフレーベル」「日本幼児教育の父」とも呼ばれる、日本幼児教育の第一人者です。
 その倉橋はいかに道徳教育を捉え伝えて来たのか…倉橋の考えを考察した文献の中から、読んで考えていきましょう。


倉橋の考える道徳教育

彼(惣三)は道徳という言葉を使うと、どうも「善い行いをしなければならぬ。悪い行いをしてはならぬ。べしといい、べからずといい、まるで外から締めつけられぬような感じを伴い」どうも窮屈で、厳しい響きがするといいます。(中略)
 しかし、道徳とはそういった外からのものばかりではなく、むしろ人間の本来の力として、「おのずとそうせずにいられないもとが、人間の内部にある」、それが本来的なものである、として次のように説明しています。すなわち親切ということは、それが道徳的な義務だからするというのでなく、「苦しんでいる人をみれば、気の毒になり、弱いものをみれば助けてやりたくなる自然の心が動いてくる。(中略)
 このように、人間本来の心の中に、道徳的傾向というものが豊かにあって、それは大人にもあるが、幼い子どもには一層純粋に存在している。だから「子どものすなおな生活をこっちもすなおな心もちでよく眺めて居ますと、真にびっくりする程の豊かな道徳性を、子どもの心のうちに発見し得る」と説きます。

「倉橋惣三と現代保育」:荒井洌 大豆生田啓友 小田豊 児玉衣子
 柴崎正行 高杉展 本田和子 森上史郎  P185~
※引用部分は森上による解説

 子どもの道徳、特に「道徳教育」というように「教育」というワードとセットになってしまうと、教師はついつい「教えなきゃ!!」と力が入ってしまうものなのではないでしょうか。
 しかし、道徳観というものは倉橋の訴えのように、内から湧き出る感情であり、きっとそれのベースを作るのが家庭教育・幼稚園教育・保育園教育なのではないかと思います。
 子どもが自分の気持ちに向き合う時間を保証すること、伸び伸びと感情を抱けるような経験を積み重ねること、自分の思いに共感される大切にされる喜びを味わうこと、悔しさ嬉しさ楽しさ思うとおりにいかなさ…あらゆる思いを経験すること…それら子どもの経験や壁を温かく見守る姿勢と、子どもの踏ん張りに気付いて適切に向き合う教師ら大人の姿勢こそが子どもの道徳観の礎になるのではないでしょうか。
 そしてそのような子どもの温かい道徳心に気付き、喜び、温かく受け入れる大人の姿こそが道徳的な子どもの育成につながると考えます。
 そんな子どもにとって嬉しい大人になれたら素敵ですね。

 さて、以上の「ざ!道徳的」な子どもの嬉しく理想的な子どもの姿と対照的に、大人がギクッとしてしまうような姿について、倉橋は触れています。
 以下の引用から見ていきましょう。

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