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『のさりの島』
目の前のことを受け入れる。
目の前に起きたことは、天に授けられたものなのだから、受け止める。
そういう、“のさり”。
考え方としては、
「偶然はない、あるのは必然だけ」に近いのかな。
だけど、時には“まやかし”が必要。
真実を全て受け入れる必要はないってこと?
“まやかし”そのものも受け入れるってことか。
真実ではない“まやかし”が目の前に現れたとき、
その“まやかし”ごと受け入れる。
“まやかし”を受け入れることのできる器の大きさ、それこそまさに“のさり”なのだろうか。
私は映画の製作に詳しくないので、プロとかアマとか知らん。
その融合がどう化学反応を起こしているのかも分かんないけど、
頂いたパンフレットの山本監督と小山薫堂さんの対談を読んで、
製作現場がいかに刺激的で学びの場であったのかを知った。
ともあれ、プロアマ関係なく、一つの一貫した思いが観てる側に届く作品だったのではないかなと思う。
きよらさんの声が綺麗だった。
きよらさんの声が、天草の人々を繋ぎ(たとえその地にいない人でも)、
天草の人ではない若者をも、繋いだのかもしれない。
きよらさんを見る藤原季節の目が、
興味本位のものから、一人の大切な人を見るものに変わっていった気がした。
財布と携帯を見つけた若者は、
いつでもおばあちゃんから離れられる立場になった。
それでも、洗濯物を屋上に干し、借りたシャツを着て、倉庫の整理をし、
それらが終わってもなお、新たな作業を見つけようとした。
おばあちゃんの傍に居られる理由を見つけようとした。
若者の気持ちを変えた直接的な理由はない、
というか分からない。
おばあちゃんの態度なのか、
きよらさんの声なのか、
天草の風土なのか、
だけど結局、人が変わるのはいつだって“出逢い”でしかないのだ。
人に出逢い、モノに出逢い、
出逢うことで、人は変われる。
人を変えようとしたって、その人は変わらない。
その人が何かに出逢わない限り、変わらない。
若者は、天草という地で、
いろいろなものに出逢ったのだ。
そして、その出逢いを受け入れた。
はじめは拒絶していたけれど、
次第に受け入れた。
“のさり”。
『のさりの島』に限らず、
映画館で見る映画は、身体が覚えている。
照明が落ち、暗くなる瞬間。
会場にいる人々が、息をのむ瞬間。
視線の高さに画面がいっぱい広がる瞬間。
その経験は、映画館で映画を見るから身体に刻まれるし、
その経験を繰り返すことで、
何度でも何度でもその感動を思い出す。
ついこの前観た映画『ちょっと思い出しただけ』も、もう劇場で公開される回数が少ないんだと。
目まぐるしく変わる、劇場公開映画。
映画館で見る機会が限られ、
一方で簡単に手元で見る機会が増えた映画たち。どちらも、それぞれのよさをはらんでいる。
だけどやっぱり、
あの瞬間たちは身体から消え去らないので、
いつだって欲する。
これからも、観たい映画は劇場で観よう。
強烈な映画体験だったな〜