コーチングに見る夢と可能性~私が公務員を辞めて独立を選んだ理由~
私がコーチングに出会い学び始めたのは2019年なので、5年もの年月が経っていることになります。ズブズブと少しずつ沼にハマって抜け出せなくなり、いよいよ独立した…というところまで来てしまいました!
ここでいったん、自分がなぜコーチングという道を選んだのか。何を夢見てこの道を進んでいるのか。改めてそのあたりを書いてみます。
不安と劣等感の深い霧の中にいた10代
ときどき他の記事でも書いていますが、小学校で不登校、高校は中退をしていました。小さい時から母子家庭でもあり「成人男性」のロールモデルもありませんでした。今思うと当時は社会から切り離され、未来を描けない深い霧の中のような世界を過ごしていたような気がします。
この頃に強烈な不安や劣等感、その他様々な負の感情を味わうことになります。そしてある時にふと、どれだけ合理的に物事を考えようとしたところで、苦しみやこれらの感情・感覚は消えてなくなったりはしないことに気付きました。
この頃は全く意識をしていませんでしたが、この「どうしても感情や感覚を超えられない」という体験が後のコーチングとの出会いの伏線になっていたんだと思います。
「穴の開いたバケツ」に水を注ぎ続けた日々
そんな消えることのない不安や劣等感を紛らわせるため、日々勉強をしながら高認を取り大学を受験します。運よく大学に入ることができて、陽の当たる場所での生活を取り戻すことになります。
キャンパスライフは仲間にも恵まれ楽しんでいたのですが、実際はまだまだ深層的には不安と劣等感が全く消えていませんでした。20歳の頃は仲間との飲み会で泥酔したり、ロックバンドのライブで過度に大騒ぎしたりと、刹那的な楽しみで感覚をマヒさせている日々だったように思います。
この頃にリーマンショックの余波によるプチ就職氷河期がありながらも、なんとか自治体に就職することができました。しかしそこでも不安から来る「成果を出して周囲を認めさせないといけない」という無意識の思い込みがあったんですね。そんな思い込みには社会的には良い面もあり、その分努力して実際に新卒1年目で成績トップとなり表彰されたこともありました。
ですが5年目の頃、常に長時間労働と高ストレス状態が続く児童福祉関係の職場にいるときに、あまりの疲労とストレスで体脂肪率が5%を切ってしまいました。ジムで測定器に乗っている時に、トレーナーの方に「生命維持ライン近いですよ・・・」とドン引きされたのを覚えています。不安と劣等感という穴の開いたバケツに、努力という水を注ぎ込み続けている無限ハムスターループ状態だったんですね。
そしてその後、当たり前ですが、ある朝突然に立ち上がれなくなりダウン。しかし当時は20代で若かったので、「白米を大量に食べて体脂肪率を上げる」という荒っぽい方法で休日を挟み3日後には何事もなく職場復帰しました。
完全に身体からSOSが出ていたんですが、この時はまだガン無視ですね。これを30代40代でもやっていたら大病に繋がっていたと思います。。
コーチングと出会い知恵熱を出し続ける
働き方改革が始まる前の当時の公務員というのは、定時で帰れば「サボっている」と言われ、残業をすれば「給料泥棒」と言われるような社会環境でした。ちなみに私も実際にどちらも言われたことがありました。
そしてもっと痛んでいたのは、2010年前後の最も激しい公務員バッシングを受け続けた先輩職員だと思います。(さらに言えば、特に氷河期世代の方は公民問わず本当に苦しい状況にずっと置かれていますよね。)
もはやポジティブであることが許されない社会環境下、組織的に「いかに感情を抑圧して苦しい仕事をするのか」というのがスタンダードの世界が出来上がっていました。そんな状況は全国に”カオナシ公務員”を大量発生させることになりましたし、自分自身もそちら側に半分足を踏み入れてもいました。
やがて2019年、29歳の頃。仕事で行き詰まりなどもあり、いよいよ「今までの自分のやり方」は持続可能ではないんじゃないか?と差し迫って考え始めます。そしてたまたま検索ワードで出てきた「コーチング」という言葉が何か引っかかり、思い切って講座に通ってみることにします。
はじめてコーチングを学び「感情」を取り扱った時には衝撃が走りました。ここまでほとんど感情にフタをして突っ走ってきたわけですが、自分自身と身の回りに起きる様々な不合理な現象の正体が見えたような気がしました。ああ、ちゃんと感情も同時に取り扱わないとこうなっちゃうんだなって。
さらに地元の飲み仲間がコーチングの先輩だったというご縁から、2020年にはシステムコーチング®を学びに行くことになります。ここも当時の自分にはさらに刺激が強すぎて、コースの後は毎回知恵熱で数日間体調不良を起こしていたほどです・・・
生まれ持った性質が活かせると気付く
やがて沼にハマり、本格的にコーチングを学んでいてふと気が付いたのですが、コーチングは自分の生まれ持った性質と非常にマッチしているように思えたのです。
元々何かを意識するでもなく他者の抱える感情やコンプレックスを感じてしまったり、また人と人との関係性のパワーバランスみたいなものを敏感に受け取るクセがありました。今までは「繊細すぎて扱いにくい余計なもの」という感覚だったものが、コーチングの文脈ではとても役に立つことに気付きました。
コーチングのトレーニングも1on1にせよ対チームにせよ試練はいくつもありましたが、それも含めてとても面白いと感じていました。一つ一つ乗り越えて成長していくことを嬉しく感じるというのは、この時に初めての体験です。
クライアントの方と関わっていくのも凄く好きで、当たり前ですけどみんな違う内面的世界を持っていらっしゃいます。同じクライアントさんでも日々変化したり新しい側面と出会えたりするわけで、好奇心が尽きない自分もそこにいます。要するにやっていて楽しいんですね。
コーチに背中を押され独立を決意
もう気持ち的にはもうほとんど「コーチングを仕事にしたい!」という思いでいたのですが、大きなキャリアチェンジの経験もなくためらっていました。
そんな折にコーチングの大師匠が関わってくれて、決して独立しなさいとか言われたわけじゃないんだけど、私の中にあった本心を表に出してくれました。この時の関わりは本当にとてつもないインパクトがあり、放心状態でまっすぐ歩けなかったのを覚えています。
このある種のクライアント体験は、「グローバルクラスのコーチになればここまでのインパクトが出せるのか」という希望も同時に自分に与えてくれました。そして退職・独立することを決心することができました。
本当に人間性に目を向ける社会をつくるために
自分がコーチングをメイン軸に独立していくことに、どんな意味があるのか。なぜ自分がそうすべきなのか。深い感覚から来る動機をストレートに言葉にすることは簡単ではありませんが、向いている方向に迷いはありません。
時代が変化していくなかで、これからは従来の工業管理的な手法で人を取り扱っていくことは適切ではありません。深く根付いたそういったスタンスがカオナシ公務員をはじめ、世界最低のエンゲージメント率を誇る日本の組織を作ってしまっています。私たちは改めて人間性に目を向けなければ、持続可能な社会をつくることができない岐路に差し掛かっています。
また人間性に目を向けることが重要だとしても、実際にどのようにそれをしていけばいいのか。私はその答えの1つがコーチングだと考えています。
あらゆるものがハイスピードに変化して過ぎてゆく中で、一度自分自身に立ち戻ること。自分の中にある感情、痛み、願いに目を向けること。忙しい日々にそんな贅沢な時間を取るべき理由は、まず自分の人間性に目を向けなければ、他者の人間性に目を向けることは困難であるからです。
コーチングが人や組織、またその先にある社会をもより良くしていくことを体験として確信しています。だからこの道を選ぶことにしました。
あなたのお役に立てそうなときには、お声がけくださいね。