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教えてくれてありがとう
傾聴って、「ちゃんと人のお話を聞きましょう^_^」みたいな生優しいものではないと思っています。
ちゃんと傾聴ができていると心理的安全性が現れます。心理的安全性って、要は「リスクを取って扱いの難しい発言ができる環境」ということです。なので"不都合な発言"がガンガン出てくることもあります。
そういうわけで、ちゃんと傾聴をすると、ある種の不都合なことをたくさん聞くことになるんです。だから結構タフなんです。
権威や権力のある立場なら、思ったより簡単にこの不都合な発言は摘み取ってしまうことができます。ほんのちょっと不快そうな顔をするだけでも十分に排除できます。というか、何らかのパワーがある立場なら、無意識であってもほんの僅かな仕草で心理的安全性を消し飛ばすことができてしまいます。
そこでは不都合な発言はなくなり、快適な世界が立ち現れます。少なくとも表面的には。
ところが、当たり前ですが、不都合な発言が無くなったとしても、その不都合な事柄や認識がなくなるわけではありません。ただただ語られずに潜伏するようになるだけなんです。
1対1の関係は言わずもがなですが、チームコーチングやファシリテーションをしているときにも同じことが言えます。
場が凍りつくような発言。感情的な言葉。誰かへの(時にはコーチやファシリテーターへの)強い批判。
そういうものがあってもいいんです。だって、それらは今この時に間違いなくそこにいるのだから。
受け止めるのは時に辛いこともある。それでも、「聞かせてくれてありがとう」なんです。勇気を出して伝えてくれて、ありがとう。
語らずに潜伏させることを選ばずに、表に出して取り扱うことを選んでくれて、ありがとう。
教えてくれてありがとう。
だから傾聴って、生やさしいものではないと感じています。タフなものだから、聞き手のセルフケアもとても大事です。
まずは自分を尊重しないと、他者への尊重も再生可能にならないんですね。