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フリーソフトに質の高いものがある理由

 フリーソフトの要点は, 自分の作ったものを「みんなのもの」であると宣言することにあります。無料ソフトウェアが「自分のものを使わせてあげよう」という立場なのに対して「みんなで作ってみんなで使っていこう」というのがフリーソフトの立場です。

 実際, フリーソフトは作者だけではなくいろいろな人の力で成り立っています。「こんなソフトがあるよ」と広く宣伝する人, 使ってみて不具合を報告する人、使い方のわかりやすいドキュメントを書く人… こうしたものの総体であるフリーウェアに「作者」など本当にあるのでしょうか? 
 フリーソフトにはいろんな人に改良を加えられどんどん良い物になっていきます。これは一人の力では到底できません. フリーソフトウェアに質の良いものが多いのはこういう仕組みによるものなのです。

 上記のような目的で「フリー」なものは、「フリー」でも良質でありますが、逆に言うと、「ただほど、怖いものはない」ということわざがある通り、なぜただなのかの意味がわからなくて「無料・フリー」のものは、裏の目的があると言うことです。「ただ」で使わせて、何かを収集なり、営利目的なことをしているはずです。

フリーな文書
 「フリー」の考え方はソフトウェアだけに限りません。著作物すべてに当てはまる概念です。その中で「文書」については同様の考えを適用しやすい事例でしょう。

「フリー文書」とは, 「フリーソフト」と同様に誰でも自由にコピーしたり印刷したり書き換えたりといったことができる文書です。これもまた単に読むことだけが自由にできるWebページなどと区別しなくてはなりません。

 現在Webが発達したおかげで「フリー文書」への要求も高まっています。おびただしい数の文書が氾濫し, 文書の作者が全部権利を主張しているおかげで,「情報をまとめる」という機能がマヒしかかっています。「引用」とか「リンク」という曖昧な言葉でごまかしているのが実状です。

 例えば「検索エンジン」というのは, 他人のページの内容を勝手につぎはぎして自分のページとして公表しています。雑誌などでWebページをCD-ROMに集めたものもありますが, これもすべてのページの作者に了解を取らないといけません。ただし、ページのリンクは、「本のタイトルを表示する」行為に当たり本のタイトルには著作権はないので、リンクは本来許可をとる必要はないです。

 残念ながらソフトウェアに比べて文書は著作権の明示がしっかりなされていない事が多いです。そしてそうした文書に出くわすと再配布や改良などにいちいち著者の許可をとらなくてはならないのです。

 自分の書いた文書をフリーにしておくとそれを他人が使用することで新たな価値を産み出すことができます。例えば「料理のレシピ」を自分のページで細々と2, 3書いただけでは見てくれる人もほとんどいないでしょうが、そういった文書を誰かが集めて「料理レシピ集」というページにまとめたとしたら, それらの書いた料理レシピも多くの人に見てもらえるようになります。
 一つ間違えてほしくないのは、改変や再配布には元の著作者の明示が必要だということです。もし「料理レシピ集」というページをだれかがまとめたとしたら、それぞれのレシピには「これは○○さんの考えたレシピです」と著作者の名前が書かれることになります。

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