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生き直し

冬休み、お正月は、河合隼雄先生の本を読んで過ごしておりました。

ファンタジーを読むp57
こんなところを読んでいると、果たして人間というものは、自分が信じているほどの自由意志をもっているのかなと疑問に感じるのである。

私もそう思う事があるなぁ…なんて思いました。



話は変わって、身体の事をつらつら
私は、20代前半の頃から、膠原病でした。
若い頃は、ステロイドの飲み薬で対処していました。
そして、40代からの治療は、
生物学的製剤(自分で皮下注射を打つ)と飲み薬でした。

免疫を抑制しているので、感染症には気をつけていましたが、数年前にインフルエンザにかかり一週間は発熱嘔吐で、全く動けなくなり(唯一、口に出来た物は、甘酒でした)
一週間後、口の中や喉全体の皮が剥け、手指の皮も剥け、全身の筋肉痛も半年ほど続きました。

(内科のお医者は、インフルエンザではこんな症状聞いた事ないそうです)

膠原病の治療も中止していました。

感染症から回復したと感じたのは、
半年以上してからでした。

膠原病の通院再開した時に、
薬たちを中止していたのに、ずっと関節炎がおきていない事に気づきました。
それから、薬を中止したまま、様子見で通院を続け、
『飛んじゃったのかな』とぽつりと先生が独り言を呟いて…一旦治療は終了して、2週間以上関節炎が出たら病院へとなりました。

それから、今まで膠原病の症状はおきていません。


本に戻ります。
ファンタジーを読むp29
人間は時に病気になる。短いときもあれば長いときもある。長期にわたる病気で休んだときなど、随分と損をしたと思う。他人に遅れをとってしまうのだ。しかし、よくよく考えてみると、その病いが自分の人生全体の流れのなかで、大きい意味をもっていると思われることがある。一見、損をしたように見えるけれど、長い目で見た場合、得たところの方が大であると思えるのである。このような考えを拡大して、筆者は、およそ病いはすべて意味をもっている、と考えるほどになった。ただ、本人には残念ながらその意味があまり見えないこともあるようだが。

読んでいて、苦しかった感染症だったけれど、
結果的に長年の膠原病が寛解されたと考えれば、
ヨシだったのかしら?と思うのでありました。

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