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自分の声を信じる素晴らしさに気づく「拝啓 十五の君へ ~30歳になった私からのメッセージ~」の感想

2008年に、アンジェラ・アキが五島列島の中学生と出会い、それから15年後の2024年に、30歳になった当時の生徒達と出会うドキュメンタリー番組を見た。
2009年(生徒15歳)、2014年(生徒20歳)の放送はリアルタイムでは見ていなかったが、今回の30歳の回の前に、まとめて再放送されていたため、3作続けて見た。

「拝啓 十五の君へ 若松島編 ~歌と歩んだ島の子どもたち~」(2009年放送)
「拝啓 二十歳の君へ~アンジェラ・アキと中学生たち 再会そして未来へ~」(2014年放送)
「拝啓 十五の君へ~30になった私からのメッセージ~」(2024年放送)

2008年のNHK音楽コンクール中学校の部の課題曲として全国の中学生に歌われ、その後も多くの人に愛されるアンジェラ・アキさんの「手紙~拝啓 十五の君へ~」。
当時、全国の中学生とアンジェラさんが交流を深めるドキュメンタリー番組がシリーズで放送され、中でも長崎・五島列島の中学生とのシリーズは、番組をもとに小説や映画も作られ、大きな話題を呼んだ。また、五島の中学生たちが20歳のタイミングでアンジェラさんと再会する番組「拝啓 二十歳の君へ」も放送。その直後にアンジェラさんは活動を休止し、音楽家として新しい挑戦をするためアメリカへと旅立った。
それから10年―。アンジェラさんは南カリフォルニア音楽大学を経て、本格的にブロードウェイ・ミュージカルの世界で音楽家としての一歩を踏み出していた。そして当時「手紙」を歌った、五島列島の中学生たちは30歳を迎えた。

アンジェラさんが「手紙」を作ったのは自身が30歳の時。今回、その時のアンジェラさんと同じ30歳になった彼ら・彼女らが東京NHKのスタジオでアンジェラさんと再会を果たす。 スタジオでは、アンジェラさんの呼びかけで「30歳の自分から15歳の自分に宛てて書いた手紙」を朗読してもらうことに。その中で、それぞれのこの15年の人生の紆余曲折が紐解かれていく。そして、日本を離れて10年―今年シンガー・ ソングライターとしても再始動することを発表した、アンジェラさんの今の思いもご本人の言葉で語られます。

NHK番組情報サイトから引用


30歳から15歳への手紙はどれも素晴らしい内容だった


2009年 放送回(15歳)

15歳の生徒達は、合唱の大会で金賞を目標に、課題曲の手紙に真剣に向き合っていた。友人や家族との関係に悩みを抱えながら、将来の夢を持ち希望に満ち溢れていた。

2014年 放送回(20歳)
20歳になった生徒達は、夢や目標を持って島を出てそれぞれの道に進んでいたが、理想と現実の違いに悩み苦しみ、自分が進んでいる道が本当に正しいのかを考えていた。

2024年 放送回(30歳)
それぞれの生徒が15歳の自分に宛てて書いた手紙が、どれもとても素晴らしい内容だった。

中でも、とても心に残る手紙があった。
要約するとこんなかんじ。

手紙を歌っていた頃は、自分に自信があり、不安はなく、歌詞にある「自分の声を信じ歩く」なんて当然だろと自信満々だった、だがその後の15年で、ときに自信をなくし、なすすべがなくなり、途方に暮れたこともあった。
歌詞に「自分の声を信じる」とあるが、自分の声が分からなくなることもあった。
ひとごとだった手紙の歌詞は、年齢を重ねるごとにリアルになっていった。
ただ、ここまでやってこれたのは、手紙を全力で歌った経験があるから、この経験が大きいからこそ、今がある。

一部、生徒の方の手紙から

この手紙を書かれた方は、15歳で合唱の大会に真剣に向き合ったことが30歳になった今でも、自分の糧になっていると話されていた。
自分は、同じく中学生のときに、五島列島の生徒のみなさんの様に、ものすごく真剣に向き合ったことがあったのだろうかと振り返った。

自信をなくして、人と向き合おうとしなかった15歳

私の中学でも学校内の合唱コンクールがあったが、番組の生徒のように、真剣に歌と向き合ってなかったなと、思い出した。
歌だけじゃない、全部中途半端だったように思える。
それは、なぜか。
自分に自信がなく、周りからどう思われるか分からないから、全力で向き合うことが怖かったのだ。

本気で自分や他人と向き合おうとしていなかった結果、
自分の気持ちに蓋をする=目立たずにして、周りに馴染んでいるように見せたいと思い生きていた。

なぜ、自信がなかったのか。それは、小学生の後半で親が離婚したことが一番大きかった。

親が離婚して、家に父親がいないということが、学校で知られれば、貧しい・かわいそうな家の子供だと思われ、他人から下に見られ、上手くくコミュニケーションできなくなるのではないかという「恐怖」があった。
実際、離婚のことは誰にも言わず、誤魔化して隠していた。
親の離婚以降、自分に自信がなくなり、周りからどう思われているかばかりが気になり、自分を出すことをしないようになった。

人権作文の発表会で受けた衝撃

当時、私が通う中学校では、人権の作文を書いて、クラス内で発表するという授業があった。
各クラスで良かった作文を選出し、最終的に、学年全員が集まる場でクラスの代表が発表するのだ。
 
その学年全員が集まる発表会にて、他クラスの代表の男子生徒による作文を私は今でも覚えている。
内容は、自分の親が離婚してしまい、もとの家族がなくなった悲しみや不安があるけど、長男だから小さい兄弟たちの面倒をみたりして、お母さんの負担を少しでも減らしたり、部活や勉強もできるだけがんばりたいという作文だった。

彼が、そんなことになっいてるとは知らなかったが、聞いた瞬間、他人のことなのにものすごくギクッとなった。
それは、そんなことをこんな大勢の前で言ってしまって大丈夫なのか?という不安だ。
周りから、かわいそうなやつ、大変な家庭の子供って思われるぞと。

だけど、周りの生徒達は、彼の話しをしっかりとまじめに聞き入り、発表が終わった後も優しく拍手をして、その後の日々も温かく寄り添うように、以前と変わらず接していた。

発表会の後、彼と自分を比べて、何が違うのか考えた。
「彼のことを周りがかわいそうだと思う」と思ってしまった自分が、一番かわいそうな人間だと分かった。
むしろ、自分こそ、周りの人や他人を決めつけて、見下していたのかもしれないと思うと、とてつもなく惨めだった。
自分も他人も信用できないから、
自分が一番、心を開こうとしてないから、何も変わらず1人なんだなと思った。これが自分の弱さなんだと気づいた。
作文の彼は、自分の気持ちと真剣に向き合っていたから、大勢の生徒の前で自分の気持ちを伝えることができたのだと思う。そして、周りの生徒も彼の気持ちにしっかりと向き合っていたから、離婚とか関係なく友達として接していたのだ。


今、こうして過去を振り返えることで、あの頃には分からなかったことが、少しずつ見えてくることがえる。後悔することや、思い出しては消えてしまいたくなることもある。
学校のクラスメイトや先生、周りの人達を信じることができなかったのは、他人を信じる自分自身を信じることができていないことでもあったと思う。
自分のことを信じることができない=自分を好きになれなかったのだとも。

自分と人を信じるのは、素晴らしいこと

他人を信じることができなかった私は、今では、人を信じて生活する素晴らしさを知る事ができている。
それは、結婚して家族がいるからだ。
大切な人と家族になれたこと、共に支え合いながら生活すること、自分のことを信じてくれる人がそばにいるということが、自己肯定感を少しずつ上げてくれた。誰かに必要とされている、誰かに信じてもらえている。そう思えることがどれだけ幸せで素晴らしいことなのか、よく分かる。

手紙の曲のように15年前を思い出すと、きっと今の自分はあの頃より、自分を好きになれていると思う。
番組では、生徒が大人になる過程で、色々悩みや悲しみとぶつかりながら、それでも前向きに生きていこうとしていた。
今後、私も同じように、多くの悩みや深い悲しみを経験することになるのだろう。
でも今の自分には、そばにいてくれる家族がいて、家族以外にも周りに相談できる人もいる。
周りを信じることができるから、未来のことも少しは前向きに考えることができる。
手紙の歌詞にある「自分の声を信じる」ことが今ならしっかりと出来る気がする。
そんな素晴らしいことに気づけたことを、15歳の自分に伝えたい。

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