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物忘れと認知症

「忘れてしまう認知症」


「はじめまして、燕猫です」
「あら、こんにちわ。どちらの方かしら?」
「デイサービスから来ました。看護師です」
「そうなの、デイサービス?からいらしたの」
「はい」
「そうなのね。ところで、どちらの方かしら?」
「はい、デイサービスから来ました、看護師の燕猫です」
「そうなの。こちらには何をしに?」
「デイサービスのお誘いに来ました」
「そうなの。ところでどちらからいらしたの?」

認知症の方へのサービスの開始時によくあるやりとりです。
この方は、その日突然、デイサービスのことを聞いたわけではなく、前日にも、私が訪れる直前にもご家族から「デイサービスの人が来る」と伝えられています。

ですが覚えていることが出来ません。ほんの数秒前に聞いたことさえも。

「認知症」という言葉をご存じの方は多いと思います。その症状は様々で、そのどの症状が目立つかには個人差がありますが、この方の場合は「記憶障害」で、聞いたことや出来事等の情報を覚えることが出来ません。
そして、自分が言った事等も覚えていることが出来ないため、何度も同じことを聞き返し、同じことを聞いているという自覚がありません。

そのように、何度も何度も同じことを言われたり聞かれたりすると、つい、このように言ってしまいませんか?

「だから、さっきも話しましたけど……」

「忘れてしまう人の心理」

何度も同じことを聞いてくる人に「さっきも言ったよ?」「また同じことを言ってる」という言葉を投げかけてしまう事はよくあります。

それはそうですよね。

だって、同じことを何度も何度も聞かれたのだから。何度も何度も……
だから、だんだん面倒にもなるしイライラもしてくる。それは当たり前の事。

「聞いたけど忘れちゃうんだ」「ごめんね、忘れてしまうんだよねぇ」
自分が忘れたことを自覚している方だと、このように返答が返ってくることがあります。人によっては最初に「すぐ忘れちゃうんだけど」と、言って下さる方も居ます。中には「忘れるからとにかくメモをするようにしているんだ」という方も居たりします(こういう方は努力家だなって本当に尊敬する!)

ですが、私がお話した「自分が言ったことや聞いたことを忘れる」方々は、少し違いがあります。

例えば、貴方が全く知らない街に来て、道が分からないからと、近くの方に訪ねたとします。そうしたら
「さっきも言いましたよね?」
と言われました。
しょうがないから別の人にまた聞いてみました。
「だから、さっきも言いましたよね?何度聞くんですか?」

貴方は、この事態をどう思いますか?知らないから聞いたのに、誰に聞いても「さっきも言っただろ?」と言われる。
「何で?」と驚きながら、段々不安になりませんか?人によっては腹が立ってくるかもしれません。

記憶障害が進行した方は、周囲の声の掛け方によっては、常にそのような気持ちを感じながら過ごさなくてはならなくなってしまいます。
私は知らないだけなのに、皆が面倒そうに言う。なんでそんなふうに言われるんだろう?
誰かに話しかけると自分が不快な気持ちになる。そうすると誰にも話しかけたくなくなる。外にも出たくなくなる。

そして、そのような方は、だんだん引き籠りがちになっていきます。

「忘れてしまう事と忘れない事」

「おはようございます。デイサービスの迎えに来ました」
「え?デイサービス?そうなの?」
「はい。今日はデイサービスの日ですよ」
「え、行かなきゃならないの?どんなところ?」
「楽しいと思いますよ?行ってみましょうよ」
「…ええ…不安だわ…」

先ほどお話しした認知症の方との朝の送迎のやりとりは、デイサービスに行くことへの「説得」から始まりました。(この方の場合はご家族もいらっしゃったので、スタッフとご家族で説得していました)
初めての日だけではなく、デイサービスに行く度に、このようなやりとりをしつつ、結局、行かない日もありましたが、それでも、デイサービス利用の日には必ず朝は迎えに行くようにしていました。

そして数ヶ月後

「おはようございます」
「あら、迎えに来たのね。待ってたわ」
「さぁ、行きましょうか。体調はどうですか?」
「大丈夫よ。行きましょう」

同じ認知症の方です。
大分、やりとりの内容が変わりましたよね?

「そりゃぁ、数ヶ月も経てば流石に覚えるでしょう」と思うかもしれませんが、この方の記憶障害が治ったわけではありません。数秒前に言ったことも、相変わらず、覚えられません。

では、どうやってデイサービスの行くことを「覚える」事が出来たのか?と、思いますよね。

この方はデイサービスに行くことを「覚えた」というよりは、デイサービスでの「思い」を忘れなかったんだと思います。

「忘れてしまう『記憶』忘れない『感情』」

先にお話した、家に引き籠りがちになる認知症の方のお話です。

あの話について、不思議に思いませんでしたか?

どうして「言われたこと」も「言ったこと」も忘れれてしまうのに、外に出ることが嫌になってしまったのか。

嫌なことを言われようと、冷たくされようと、それを忘れてしまうのですから。そう考えれば、何を言われようと心はフレッシュで最強メンタルと言えるかもしれません。気にしないのレベルではなく、忘れるのだから。

でも、記憶障害になってもそうはならず、落ち込んでしまうという不思議。(いえ、中にはそうではないような方もいるかも知れませんが)

それは、「記憶」が忘れてしまっても「感情」が思いを覚えているから、と、言えると思います。
出来事や物事が何だったのかを忘れてしまっても、冷たくされたこと、酷いと思ったこと、嫌な気分をした思いは「感情」として残ります。
そして次に同じようなことをしようとしたときに少なからず「嫌な思いをした気がする」と頭に浮かぶのです。そして、それを積み重ねるうちに「こんなことをしたら嫌な気分になる」と思うようになり、それをやらなくなるのです。
誰でもそう、私だって嫌な気分になることを自分からやりに行きたくはありません。
認知症の方々が引き籠りがちになる原因の一つになると思います。でも、これは、嫌な思いをしないように自分を守っている対処法の一つなのだと思います。

でも、感情は「嫌だ」「不安だ」だけではありません。

デイサービスに行けるようになった認知症の方、この方の場合は、最初こそ不安いっぱいでデイサービスを拒否しがちでしたが「行ってみたら楽しかった」を何度も反復し、それが「行ったら楽しい」になり、デイサービスということや、スタッフの顔を覚えることは難しいけれども「どこかで見たような車に、見たことがあるような顔の人が乗っている。今日も楽しい所に行く時間だ」という気持ちに変わっていったのだと思います。

ご家族のお話では、最初こそあまり気乗りしていないようでしたが、今では毎日、夜にデイサービスのバッグに何かを入れて明日の準備をしている(デイサービスは週3回なんですが(笑))「明日は学校だから」と冗談気味に言ったりもするとのことです。

認知症で記憶障害のある方々は、色々なことを忘れてしまっているようですが、その出来事すべてを忘れているわけではありません。
なかなか目に見えない部分ではありますが、それを私達が忘れないでいくことが大切なのではないかな、と、思います。

【おまけ】
この認知症の方が「デイサービスが楽しい!」と思えるようになったのは、まさにデイサービスのスタッフの方々が常に「ここは楽しいところ」と思うような支援の仕方をしてきた賜物!と、思っています(笑)
喜びや楽しみは、どんな世代にとっても原動力になるのは間違いないですね(笑)


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