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親との団欒・そしてその隙間にある英検少年の孤独

いつもタクシーでやってくる少年

佐藤くんは、毎回授業に遅れることなくやってきた。
他の子どもたちが迎えに来た親に手を引かれて帰る頃には、
教室の外にはいつもタクシーが1台待機していた。
最初は特に気に留めていなかったが、ある日、ふと
「どうしていつもタクシーがいるのだろう?」と疑問に思った。

授業中の佐藤くんは、控えめでおとなしい印象だった。
質問をしても短く答えるだけで、笑顔を見せることはほとんどない。
彼が何を考えているのか、私にはわからなかった。


一人残った教室での会話

ある日、授業が終わっても佐藤くんが教室に残っていた。
タクシーが少し遅れているようだった。せっかくの機会だと思い、
私は彼に話しかけてみた。

「佐藤くん、今日はどうだった?英語、難しくなかった?」

彼は少し驚いたような顔をしてから、
小さな声で「うん、大丈夫」と答えた。
その後、ぽつりぽつりと話し始めた。

「両親、共働きだからあんまり家にいないんだ。
夕食もいつも一人で食べるんだよ。」

「そうなんだ。じゃあ、夕食のときに今日学校であったこととか
 話したりはしないの?」

彼は首を横に振った。

「話し合ったり、笑ったりすることなんてないよ。
親は忙しいから、帰ってきたらすぐお風呂入って、寝るまでは
一人の時間なんだ。」

その言葉を聞いたとき、私は胸の奥がぎゅっと締め付けられるような
感覚に襲われた。


英検に合格したら外食しよう

佐藤くんの話を聞きながら、私は彼の寂しさを想像していた。
夕食時に家族で笑い合う時間が、どれほど彼にとって憧れのものなのか。
その時、ふと彼の表情に少しでも明るい変化をもたらしたいと思い、
ある提案をしてみた。

「じゃあさ、佐藤くん。今度英検に合格したら、先生と一緒に外食しよう。何か好きなもの、食べたいものある?」

彼は少し驚いたような顔をしたが、やがて控えめに
「スパゲッティが好き」と答えた。
その瞬間、彼の目が少しだけ輝いたように見えた。


合格とご褒美のスパゲッティ

数ヶ月後、佐藤くんは見事に英検の希望した級に合格した。
授業の終わりにその報告を受けた時、私は心から「おめでとう!」と
声をかけた。そして約束通り、
近所の有名なパスタ屋さんに彼を連れて行くことにした。

その日、佐藤くんは少し緊張した様子だったが、パスタ屋に入ると
メニューをじっと見つめ、「ミートソースのスパゲッティがいい」と
小さな声で注文した。料理が運ばれてくると、
彼は目を輝かせながら一口ずつ嬉しそうに食べ始めた。

食事をしながら、私は彼にいろいろと話しかけた。
学校のこと、好きなこと、将来やりたいこと。
最初は控えめだった彼も、次第に打ち解けていき、
思いがけずたくさんのことを話してくれた。

「犬を飼ってるんだ。名前はロン。親が忙しいから、ロンがいれば
 寂しさを少しまぎらわせることができるんだ」

「両親がテンヤ物(お弁当やお惣菜)を用意してくれるんだけど、
たまにはみんなで一緒ににぎやかに夕食を食べたいって思うんだ。」

その言葉を聞いたとき、私は胸が痛くなった。
彼が望んでいるのは、豪華な食事や特別のメニューではなく、
ただ家族と一緒に笑いながら食卓を囲む時間だったのだ。


笑い声と未来

その日の佐藤くんは、これまで見たことがないほどよく笑った。
食べながら話しているうちに、彼は何度も笑い転げて、
私もつられて笑ってしまった。
彼の中にこんなに明るい一面があったのだと知り、私は嬉しかった。

「先生、今日はありがとう。こんなに楽しい夕食、久しぶりだった。」

帰り道、彼がそう言ったとき、私は心の中で彼に約束した。
これからも彼が少しでも笑顔になれるように何かできることをしていこうと


それからも佐藤くんはアフタースクールに通い続け、
少しずつ表情が柔らかくなっていった。
彼の家庭環境をすぐに変えることはできないけれど、
彼が自分の居場所を感じられるような時間を作ることはできる。

子どもたちが心から笑える瞬間を増やすこと。
それが、講師としてできる小さな愛の形なのかもしれない。


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