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モネの睡蓮っていいですよね
先日、モネの睡蓮の展覧会を見に、上野の国立西洋美術館に行ってきた。モネの睡蓮はとても好きだし、多くの日本人に愛されている。
そんな展覧会の混み具合を知りたいときには、うちの実家の母に聞くとだいたいのところがわかる。特に美術館めぐりが趣味でもない母だからこそ、正確なのだ。まず、母に尋ねてみて、「そもそもそんな画家なんて知らない」と言われたら、その展覧会は空いていて、時にはガラガラなんてこともある。次に、「画家の名前はどこかで聞いたような気がするけど、特に行きたいとは思わない」と言われたら、まあ余裕を持って絵の鑑賞ができそうである。さらに、「画家の名前を知っているし、機会があったら行ってみたい」の場合は、けっこう混んでいることを覚悟したほうがいい。最後に、「よく知っているし、是非、都合をつけて一緒に行こう!」と言われてしまったら、激混みを覚悟しないといけない。過去にこう言われて一緒に行った、東京都美術館の伊藤若冲展は、会場の中に入る前に炎天下で外で2時間並ぶという苦行の末にようやく中に入れるという激混み展覧会であった。また、フェルメールの真珠の耳飾りの少女の絵が目玉だった展覧会は、あまりの混みように、この少女の絵の前は立ち止まることが許されず、強制的に歩きながら見るというほどの混みようであった。はたして、モネの睡蓮はどの程度か?母にLINEで尋ねたところ、上から2番目、「機会があったら行ってみたい」とのことであった。
さて、余談はこのくらいにして、やはりモネの睡蓮はとてもよかった。たくさんの睡蓮の絵があって、それぞれの絵の違いも面白かった。絵の前では余計なことを考えずに、さまざまな色で表現された睡蓮の池をだだ眺めるだけでも、十分に楽しめるしそれで十分な気もする。しかし、2018年に横浜美術館での「モネ それからの100年」という展覧会を見てからは、モネの睡蓮のまた違った楽しみ方を知ってしまった。その横浜での展覧会は、モネの睡蓮と交互に、現代の画家が描いたモネの睡蓮から着想を得た絵画も一緒に並んでいた。現代の画家はモネの睡蓮のどこに注目するのか、睡蓮の何を特別と感じるのかを知ることができる貴重な展覧会であった。
ほぼ全ての現代の画家の着目点は、睡蓮の絵における、3つのレイヤー(層、階層)の存在を意識していることであった。第1のレイヤーはは水面の下の世界。このレイヤーには、池の水の中の水底、水草、水そのものが含まれる。第2のレイヤーは水面。このレイヤーには水面だけでなく、水面に浮かぶ睡蓮も含まれる。第3のレイヤーは水面に映り込んでいる水面の上の世界。このレイヤーには、空、雲、池の周りの木々が含まれる。
この3つのレイヤーが微妙なバランスで重なり、混ざり合っているのが、睡蓮の絵なのだ。この3つのレイヤーを意識して睡蓮の絵を見ると、けっこう楽しくなってくる。絵の中の緑色が、水面下の水草なのか、水面の睡蓮なのか、水面に映り込んでいる柳の木なのかと、考えると平面の絵が立体的に見えてくる。
そして、この3つのレイヤーの特徴をつくっているのが、時間軸の要素、天気の要素、モネの視点の要素である。そんなふうに、一枚の油絵として平面に表現された、睡蓮の池の絵を、まず水面下、水面、水面に映る世界の3つのレイヤーに分解してみる、そして、その3つのレイヤーの特徴から、どの季節で、時間は何時頃で、天気はどうだったか、モネは池のどこにいて、座っていたのか、立っていたのか、といったことを考えて、たくさんある睡蓮の絵を見比べていくと、時間もあっという間に過ぎ、モネがなぜ晩年のほとんどの時間をさまざまな睡蓮の作成に捧げたのかも、わかる気がする。
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展覧会の看板にも使われていた絵。この睡蓮の絵の特徴は中央にある水面に映ったモクモクとしている雲だ。雲の周りは割と明るい青色で、これは青空だろう。これらは水面に映り込んでいる世界で第3のレイヤーである。そして、第2の水面のレイヤーは、中央下に大きく描かれた紫色の花を咲かせた群生した睡蓮で、よく見ると絵の上部にも、花は咲いていないが、明るい黄緑色の睡蓮の葉がいくつかある。そして、水面下の第1のレイヤーであるが、空が明るく水面に映り込んで、第3のレイヤーが目立っているためこの第1のレイヤーはあまり目立たない。よく見ると、中央下の群生した睡蓮のさらに下、やや濃い緑色の部分、ここがおそらく、水面下の水草や睡蓮の茎や根の部分で第3のレイヤーなのかなと思う。そして最後に、絵の左右に上から下に垂れ下がっている柳の枝、これは第1〜第3のレイヤーのどこにも属さない、いわば第4のレイヤーで、空中に垂れ下がった柳の枝を、水面への映り込みを介さずに、モネが見たままを最後に書いている。この絵は、この第4のレイヤーの柳があることで、リズム感が生まれ楽しくなっていると思う。
次に、この絵の描かれた季節はいつだろう?気持ちのよい青空とモクモクした雲はなんとなく初夏を思わせる。そういえば、睡蓮の花が咲くのはどの季節なのだろう?睡蓮も他の植物と同じように春から夏にかけて成長し、葉も大きくなり、群生した葉の数も増えるのだろうか?睡蓮の様子から季節がわかる気がするが、自分にはよくわからない。こうなったら、一年間フランスのジベルニーのモネの池の近くにでも泊まって、足繁く池に通って、一年間の睡蓮の変化を観察するしかなさそうだ。
そして、この絵の描かれた時間帯はいつ頃だろう?空の色から考えると、朝焼けや夕焼けではなく、雲が湧いてきている様子から、なんとなく午後の早い時間かなと勝手に思う。そして、この日の天気は?きっと朝から晴れて、お昼過ぎに雲が少し湧いたが、雨は降らなかったんじゃないだろうか。フランスは日本より湿度も低いというし、日本のように入道雲ができて、激しい夕立ちが起こることもなさそうな気がする。あくまでもイメージだが。
最後に、モネは池のほとりのどこにいて、座っていたのか?それとも立っていたのか?それを考えるときのポイントになるのは、上から垂れ下がった第4のレイヤーの柳の枝である。展覧会にあった、睡蓮の池の見取り図によると、池のほとりにある柳の大きな木は一本だけで、日本風の太鼓橋に近いところにある。この絵の柳に違いない。柳の葉もわりと大きく描かれていることから、柳の木は向こう岸ではなく、モネのいるこちら側の岸にあるのだろう。そう考えると、モネの描いた場所がピンポイントで特定できそうだ。
最後に、座って描いたか、立って描いたか問題だが、池の様子は遠近法でどんどん奥に広がっておらず、高い視点、立った位置からの視点ではないかと思わせる。私の郷土出身の日本画家の菱田春草の描いた「落葉」という大きな屏風画があるが、この「落葉」には視点の高さが違う3バージョンがある。一番有名な低い視点の絵は、永青文庫が所蔵し、熊本の県立美術館で見られる。茨城にあるバージョンはもうちょっと視点が高い。郷土の画家の有名な絵が、今住んでいるところにあるのはちょっとうれしくて、完全に話が脱線してしまった…
私の妄想によると、このモネの睡蓮の絵は、初夏の天気のよい日のお昼過ぎに、昼食を終えて、自宅のお屋敷からいつものように睡蓮の池のほうに歩いてきたモネが「おっ、青い空と白い雲が映えて、いつもとちょっと違っていいんじゃないの。こんな睡蓮の池、あんまりみたことなかったなぁ。よっしゃ、今日は立ったまま描くぞー!」と言って描いた絵に違いないと思っている。
他の睡蓮の絵についても何か書こうと思ったが、あまりに長くなったのでやめることにした。絵の見かたって百人百通りで、何が正解ということもないし、絵なんて勝手に楽しめばいいと思うし、最近の私のブームであった、ひたすら細かく分解して分析するというかなり理屈っぽい見かたにも、そろそろ飽きてきてしまった。なので、自分はこう睡蓮の絵を見ているというのがあれば、是非教えていただきたいと思う。
最後に、うちの母の美術館混み具合予測は、今回もよく当たり、なかなかの混み具合の展覧会であったことをつけ加えたい。会期後半には、うちの母も「是非行きたい」と言い出す気がするので激混み注意である。興味のある方には、なるべく早めの観覧をおすすめしたい。