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ありのままの心を書きたい
いま心の中にある「救われた」という拠り所を知るためには、汚くてもいいし伝わらなくてもいいから、出てくる思考をかき分けてとにかく打ち続けなければならないような気持ちになった。
主語だの述語だのなんて関係なしに、のべつ幕無しというのが似つかわしいほどに今書き散らしている。
心が壊れかけて、盛大に東京から逃げてきた。仕事がいやだった、おじさん達のようになりたくなかった。心を殺して生きながらえるために身に着けた陳腐なスキルは人を卑下することみたいだった。私には何もできません、わかりません。正直に手をあげて質問したかったのかもしれない。人生そんなもんだってっていう回答しかもらえないかも知れないけれど、聞いておけばよかったのだ。決めつけるのは失礼だったかもしれない。
泣き叫んで、もう実家にすら帰れないと思った。私は何者かになりたかった。今の自分ではない何者かになりたかった。それは世間の成功者になろうとしていたのかもしれない。自分ではない何かになろうとたが、そのギャップは埋まることがなかった。現実的な理想であれば、自己研鑽という美談のもとになら成り立つ自己犠牲もある。私は自分の心を殺す勢いだった。自分の心や人生を考えてこなかったツケが、三十路というターニングポイントに噴出した。
学んだことは何物かになる必要はない。ただ何もしなくていいわけではない。人生を生き抜くためには何かをする必要がある。何をしようかと考える。私が何者かになる必要なしに、すぐできることをしよう。今なら言葉を書くことだ。心構えは好かれようとして体裁を繕った文章にしないことだ。
みんな辛い。仕事は誰もが持つ自由を奪う。カネがないのは怖い。貧乏が恐ろしい原動力となって心を急かす。落ちこぼれるのが嫌だ。一人では生きては生きられないという思い込みが同調圧力になる。
失敗をすれば学ぶことができる。仕事をしないでもすぐには死なないし、金は生活できるだけで十分で、一人になんてならないし、なっても生きてはいる。一度も失敗しない人はいない。誰もが過ちから学び、活かしているのだから、逃げてきたことを悔やんではいけない。自分がいい男になるために使えるようにする。耳障りの良い言葉じゃなくて、心と魂に響く言葉で生きていこう。