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ミニマリストに憧れた話

私はミニマリストに憧れている。
でも、幼少期はミニマリストとは無縁の生活を送ってきた。

ミニマリストとは無縁の幼少期

小学生の頃から服が好きで、できるだけ多くの服を持ちたいと思って生きてきた。でもそんな大量の服を買うためのお金はない。
なので、ファストファッションのセール品で安い服を探すのが定番だった。
毎回買い物にいいくたびに新しい服を買い、クローゼットはいつもパンパンだった。その割には毎回着ていく服がない!と焦り買い足しを続ける日々。
今振り返れば、当時はどれだけ買っても心が満たされることはなかったように思う。

大学生になってから、エシカル消費という概念を知った。
自分のこれまでの行動を振り返って、安い服を大量に買って着ないまま放置している現状に疑問を感じるようになった。
それから私はミニマリストに憧れるようになった。

初めはミニマリストに対して否定的な印象を抱いていた。というのも、ミニマリスト=我慢をしているというイメージがあったからだ。
自分はそんな我慢をしてまでミニマリストになりたくない。そう思っていた。

ミニマリストへの目覚め

インスタグラムでミニマリストが少ないお気に入りの服だけを持つことの良さを紹介しているのを見て、自分が本当に価値があると思うものだけを所有する暮らし方が本当の「豊かさ」なのかもしれないと考えるようになった。

留学をしてから、ものを持たない暮らしの良さをさらに感じた。
5ヶ月間大きなスーツケース1つ分の荷物で暮らしてみて、本当に必要なものって少ないんだなと感じた。
服も上下3-4着ずつさえあれば十分で、シンプルなデザインなら合わせる服に困ることなく着回しできるので飽きることもない。

旅に行った時にも、荷物が少ない方が身軽で行動の制限がない。
大きな荷物があると疲れるし、預けるにも時間とお金がかかる。
バックパックか小さなトートバッグでの旅行は余計なストレスがなくて快適だ。

本当に必要なものは少ない

自分が持っているもので、「本当に必要なのか?」と真剣に考えると実は他のもので代用できたり、なくても困らないという答えに行き着くものは意外と多い。

例えば、「炊飯器」
私はもともと留学先で米を食べるつもりはなかったので持ってこなかったのだが、韓国の友達は炊飯器を持参していた。
私の友達と話していて驚いたのは、その子の家には炊飯器がないということ。なんでないの?米食べれないじゃん。と聞いてみると、
「炊飯器がなくても鍋で米炊けるじゃん」

この答えは衝撃だった。
実家でもずっと炊飯器を炊いていたし、鍋で米を炊くという発想が全くなかったからだ。
「炊飯器って米炊くしかできないからもったいなくない?」
目から鱗だった。確かにそうかもしれない。

まとめ

現代社会では大抵のものが手に入る。
だからこそ、ものが溢れていて一つのものを大事に使ったり、ありがたみを感じる機会が少なくなっているように感じる。
だからこそ、ミニマリストという生き方はシンプルで身軽な暮らしを提案し、人生を「豊か」にする方法の1つになるのではないだろうか。


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