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【過去記事】20160501 地図を描く

別のブログに書いていたものを一箇所にまとめるプロジェクト。その6。この感覚を得た日のこと、今でもはっきり覚えている。駅から当時住んでいた家に帰る道の途中の陸橋で、春の陽の光が暖かく差していた。いい天気だなあ、私、こんな季節に生まれたんだなあ、と思ったら、急に還ってきたような気持ちになった。つま先から頭のてっぺんまで。

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高校時代の恩師と、その教え子数人で集まって、今年初めてのビアガーデンに行った。
恩師は日本史の先生で、「昭和史」という講義で、私に史学とは何か、歴史とは何か、学ぶとは何か、をたくさん考えさせてくださった。

何よりもご自身が、誠実な史学の研究者である、という姿勢を示してくださることで。

私たちは、とあるお宅に保存されていた、22歳で戦死された方の戦時中の軍事郵便を読み解くという研究を、先生の指導の下、ともにした仲間だった。
死因となった実際の砲弾の破片、戦地から家族とやり取りした手紙の数々。

資料を読み解く、という史学の基礎から、初めて、知るという行為、考えるという行為がどういうものなのかを考えた。

あれは確かに、私の知的体験だった。

一人の青年の姿を通じて明らかにされる戦争の姿、国家制度と政治の姿は、私の知識にはすでに誰かのイメージやバイアスがかかっていることを教えた。

「戦争はよくない」、そんなことは知っている。そういうふうに教わってきたから。

でも、「なぜよくないと思うのか」は、きちんと学んでいないと、感情的な空論になってしまう。

「よくない」ということを誰かに伝えるためには、資料から分かった事実を、普遍的な視点で示すことが必要だった。


大学で知った、「論文は全世界に向けて書くものだ」にも、通じるなあ今思うと。
「私」を出発点にしていてもいいけれど、つきつめてつきつめてつきつめて、「私」を超えた「公」を語らなければならない。

これ、とても大事なことだと、思っている。

私はそういう文章が書ける人間になりたかったのだ、と最近ようやく分かるようになりました。


話したいことが次々に溢れ出る。久しぶりに会ったみんなの言葉がききたい。
今なにしてるの? あの時の私達はこうだった、今はまた違うことを考えている。本当にそうだね。先生に言われた言葉で、忘れられない印象的な言葉があります。「事実と真実の違いが分かりますか?」です。それを覚えていてもらえるのは、とても嬉しい。お酒って偶然の産物なんでしょうかね? 少ししかつくることができなかったから、神様に捧げたのかな。お酒を飲んで理性のタガが外れた様が、神が降りてきたように見えたのかも。口噛み酒は、女性がお米を噛む役割だったんだよね。巫女の仕事にも通じるものがあるかもしれませんね。お酒と宗教って深い関わりがありますよね。京急の生麦にキリンビールの工場があるの、今度行きましょう。試飲できるの。生麦事件のフィールドワークをした後に。史学の資料は、やはり「紙」で残っているものを対象にしています。電子データは、おそらく残って10年でしょう。でも、石や紙は、もっと残る。昔から石に残す、刻む、ということが後世に自分の生きた証を残すことだった。それを聞いて思い出しましたが、大学時代、文学の講義を受けていて、中島敦の「文字禍」を読みました。「書」がそこでは「粘土板」のことで、その粘土板が頭に落ちてきて主人公が死んじゃうんですけど、それを読んで、「物的な何かに思考を預ける」ということを考えました。削り直しはきかない、そしたら、もっともっと真剣に言葉を紡ぎますよね。あと、この前金沢に行ったんですが、お城の石には、その石を運んだ人の家紋が刻まれている。そのことがとても印象深かったです。やはり、後世に名を残す、ということなんですね――。

削る、刻む。刻む。


そんなふうに次から次へと話をしていたら、友人に、色んなものを結びつける話し方ができるね、と言われた。

彼女はそれを、「地図を書くのがとても上手」と言ってくれた。

意識したことなかったけれど、それ、私の美点と思っていていいのかな。なんだかとてもとても嬉しい。貴方の表現も、とてもとても素敵。いい贈り物をもらった気分。


誰かとおしゃべりをしながら食べるご飯とお酒、あーやっぱり幸せだなあと思いながら、

数日前に母と姉と妹とも、そんな場面があったのを思い出したりなんかした。
酔っぱらって楽しくって、母に「去年の今頃は本当にありがとうね」なんて言ったりしていた。

そんなこと言ってる自分に驚いた。


色んな人におめでとうと言ってもらえて、
本当に本当に幸せです。

つま先から頭のてっぺんまで、何かとても清々しい生きる力が満ち溢れたようで、
私が「ぜんぶ」になってそこに立っているような感覚。


最近聞いたこの曲が頭から離れないのだけど、本当にこの歌の光景に自分がぴったりとはまるような、そんな心境です。

「一斉に振り向く光の中、一緒に行こうと言ったのは誰?
熱烈なノックの中、ぼくはうまれる時を、たずね、たばね、」
(蓮沼執太フィル「ONEMAN」より)


世界と人間の不条理を知っていても、みんながいる光の中へ歩みを始め、もっともっと、地図を描いていきたいのです。

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