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だから、もう眠らせてほしい2つのテーマを追って

「人は必ず死ぬのに、どうして死を見つめることから逃げたがるんやろう。たぶん死ぬのが怖いからなんやろうけど、なんで回避するんやろな。きっとこの本を書いた先生も心の奥底では死ぬのが怖いんちゃうかな。安楽死を世界から無くしたいと思っていたそうやし」

全てを読み終えたあと、率直に思った感想だ。
決して著書の先生をディスっているわけではなくて、先生はきっと誰よりも死と向き合ってきた先生なんだとも思った。

だけどやっぱりまだどこか未知なのである。
そりゃそうだ。
死がどんなものかは自分が死なないとわからない。
本当の意味で生きている人間が死を理解することはないんだと思う。
死んだ時に肉体から抜け出して自分のお葬式を眺めながら、死ぬってこういうことなんだ・・・と理解するのだろう。
その感覚や感情がわかるのは、自分が死んだ時なんだと思う。

だけど人はどうして死ぬのが怖いのだろうか。

かつて「死ぬこと以外、かすり傷」という本が出た。
これは死ぬことが最大の傷であることを意味していて、それ以外のことは大したことがないという意味なのだろう。
死んだら終わってしまうと思っている人が多いからなのかな。

私は早く肉体を脱ぎたい。
生きてることが致命傷だから。←

なんていう冗談はさておき「だからもう眠らせてほしい」に登場する吉田ユカに自身を重ねる部分が複数あった。
まず第一に複雑性PTSDを患っているところだ。
吉田ユカが複雑性PTSDを患っていたから、特に本書が入ってきやすかったのかもしれない。
病院で既往歴を開示して嫌な思いをしたことが多い私にとって、西先生が複雑性PTSDについて勉強してくださって愛護的に関わっている様子は非常に感慨深いものがあった。
一般科でも良い先生がいるんだな・・・と本を通して医療不信が少し治ったと錯覚しそうなほどだった。


複雑性PTSDを患う患者さんには虐待サバイバーが多いのかもしれない。
かくいう私もその1人でモノゴコロついた時から生とは死とはについて考えてきた。
吉田ユカの言った「日本には安心して死ねる場所がない」という言葉。
裏を返せば虐待を受けて育ったら「日本には安心して生きられる場所がない」とも言えてしまう。
ユカに被虐待の既往がなかったとしても、ユカは安楽死を考えたのだろうか。読み進めていく中でそんなことを思った。
とても素敵な旦那さんと出会えて結ばれたことも、誤解を恐れずにいうならば被虐待の家庭があったからなのかもしれないけれど、いわゆる一般的な家庭で両親の献身的な愛を受け、大切なパートナーを伴侶に人生を生きていたとしたら・・・

幼少期の被虐待の影響は後年の人生に多大な影響を及ぼすから、複数の糸が絡まり合って安楽死を願うようになったユカも、どこか何かの背景がひとつでも違えば安楽死を考えることはなかったのではないかと思ってしまったのだ。だけど持続的な深い鎮静で眠ることができたユカに対して願いが叶えられてよかったねと思った。このようにアンビバレントな感情を抱えることが安楽死を考えるうえで避けることができない問題なのかもしれないと思った。

かくいう私も安楽死を望んだ日々があり、現在も選択肢のひとつとして考えているから。
https://note.com/maito/n/nf28637e89c67

苦痛を取り除くという言葉を使う時、医療者は肉体の苦痛にしかスポットを当てないのはなぜだろう。ほんの少しでいいから心の苦痛にも目を向けてほしい。虐待を受けて育つと肉体は生きていたとしてもとっくの昔に魂が殺されてしまっているから、とっくに心が死んでしまっているのに、そこからさらに体まで苦痛を感じるのは辛すぎるということに少しでいいから思いを馳せてほしい。誰もが安心して生まれ、生き、死ねる世の中って今の日本からは程遠そうだけど目指していかないといけないんだと思う。

「死にたい」
って言われたとき、あなたはなんて答えますか?
死にたいって言われるとやっぱり動揺するんだと思う。
だけど死にたいって言う人も言う相手ってやっぱり選んでいると思うのね。

死にたいの向こう側の困りごとについて話し合うチャンスがなくなってしまうんですよ。『死んじゃだめだよ』って説得するんじゃなく、何で死にたいのかを聞いてください

松本先生との章に書かれていたこの言葉。
死にたいって言われるとやっぱり衝撃が強いし実際に死んで欲しくないので死なないでほしいと言ってしまいがち。
だけど口から出てくる死にたいには理由があるんだとハッとさせられた。
そして死にたい時に死にたいと打ち明けて、死なないでほしいとか死んだら悲しいと言われたあとにその人にはもう死にたいとは言いたくなくなる気持ちもこの言葉で理解ができた。

最後に個人的な見解を述べておきたい。
広義の意味で安楽死は自殺対策につながるのではないか?と思う。
私自身が現実に安楽死を望んでいる理由としては、進行性の難病を抱えていることにある。
自分で自分のことができなくなったら(特に他人にお風呂に入れてもらうのは一番嫌だから)その時は安楽死したいと思っている。
現時点では良いお薬があるので進行するかしないかはまったくもってわからない。
進行っていうのは急激にする時はするものだと思っているので、万一のときに安楽死というカードを持てていることは今をよりよく生きることができるようになると思っている。
目標を達成するときと同じで、ゴールがわかると今やるべきことが見えてくるから。

松本先生も言っていたけど、今までアクセスできなかった死にたい人にアクセスできるという点も含めて安楽死はもっといろんなところで活発に話がなされたり、考えられても良いんじゃないか?と思う。

今をよりよく生きるための選択肢のひとつとして。

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