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グアテマラで全部手放した話。

グアテマラで全部手放した話

海外を旅して1年が経とうとしていたころ、
どこへ行きたいわけでもなく、
ただ漠然と時間を過ごしていた。

日本に帰って働くことを考えると、
時間は限られている。

どこか次の場所に、
次の目的に行かないといけない気がしていた。

でも、実際にはただ日本に帰りたくないだけで、
何か特別な目的があるわけでもなかった。
旅に少し飽きてきていたのだ。

そんなとき、次の街に向かうために乗ったのは、噂のチキンバス。

強盗や窃盗のトラブルが多いと聞いていたバスだった。

「絶対に寝るなよ、気をつけろ」
と言われていたにもかかわらず、案の定寝た。
運転手に起こされるまで寝た。
そうなのだ。とにかく乗り物に乗ると気持ちよくて寝てしまうのだ。

空いているバスの中、隣には女の人、後ろには男の人が座っていて、
少し不審に感じていたのに、完全に油断していた。

「お前、ここで降りるんだろ」
とバスの運転手に起こされ、降りるとすぐに気がついた。

あー。完全にやったな。
カバンがナイフで切られていて、
中身がほとんどなくなっていたのだ。

お金もカードもカメラもiPadも、そしてパスポートまでもが盗まれていた。

これまでの旅で撮った写真、パスポートに押されたたくさんのスタンプ、苦労してとったビザ――1年間の思い出が一瞬で消えたように感じた。

でも、服の中に隠していたスマホと少しのお金だけは奇跡的に無事だった。

そこからはすぐに行動。

家族に連絡し、カードを止めて、
宿のオーナーに助けを求め、警察に行き、
保険会社や大使館と手続きを進めて…。

悲しむ暇もなく、あっという間に時間が過ぎていった。

不思議なことに、思っていたほどショックは大きくなかった。

もちろん、いろいろ失ったことは事実だし、
その瞬間は衝撃だった。

でも、それ以上に感じたのは、
なんだか自分が軽くなったという感覚。

助けてくれる人々がいてくれたおかげもあるけれど、
物や思い出に縛られていた自分から、少し解放されたような気がした。

形あるものにはいつか終わりが来る。

その終わりが早く訪れただけで、いつかは手放す運命だったのだろう。

グアテマラで、私は多くのものを手放した。
取られたのではなく、自ら解放された、と思ってる。

やっぱり旅って面白い。
もしかすると、旅の神様が
「お前はまだ学ぶことがある」
と教えてくれたのかもしれない。

無くすこと、離れることは、
確かにその瞬間は胸を締めつけるような感覚を伴うけれど、
それは決して悲しいことではないのかもしれない。

むしろ、自分自身が背筋を伸ばして
しっかりと前を向くための過程の一つに過ぎないのだと、
グアテマラでの経験を通じて感じる。

人は物や記憶に執着しがちで、それらを失うことを恐れてしまう。
でも、手放すことで得られる新たな視点や自由も存在する。

失うことで新しいスペースができ、そこに新たな経験や出会いが訪れる。

きっと旅の本質も、そういったものを受け入れることにあるのだ、と思う。

あーでもやっぱり。
1年間の写真たちはちょっと惜しいかも。

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