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改めて、言葉って繊細だと思っている話。平和を願っています

連日、ロシアによるウクライナ侵攻のニュースが続いていますね。ウクライナの皆様が大変な思いをされている様子がテレビやネットから流れてきます。

一刻も早く戦争が終わって欲しいです。同じ人間なのに、こんなに辛い目にあっている人がたくさんいるのは悲しい事です。戦争さえなければこんな思いをされないはずなのに…。

日本にまで飛び火してくる可能性も0ではないですし、多くのロシア国民の皆様も経済制裁や偽情報など不自由な思いをされていて、この先どうなるのかという思いです。




前線の事についてはあまり不用意な事は言えないので触れませんが、戦争が早く終りますようにと願うばかりです。
今回少し書いてみようかな、と思ったのは、戦争に対する日本のSNS上の事です。

改めて感じるのが、「言葉」というのは繊細で、使い方を間違えるととんでもないことになる反面、うまく使えば確かな力になるなぁという事です。
(私なんかが今更言わんでも「そりゃそうだろう」と思われるでしょうが😅)


様々な言葉が飛び交っているので、まだ若い中高生などがそれを目にする時どう感じているのかが少し心配です。
もちろん、デジタルネイティブの今の中高生は、ネット情報に対する教育も存分に受けている事かと思いますが…!

例えば、「平和ボケ」という言葉。
日本人は平和ボケだから、戦地に行っても何も出来ない、なんていうニュアンスで使われている事があります。政治家に対して「戦地に行ってみろ」と書き込んでいたり。それはちょっと、乱暴な表現だなぁと思います。
私たち日本人は先人から「平和」を受け継いで、一人ひとりが一生懸命守って生きてきました。それを恥じる必要はないと思うのです。戦地が怖いなんて今の日本の一般人からしたら当たり前です。

戦闘術や兵器の開発も長い歴史をかけて発展しているもののはずですから、簡単に立ち向かえるものでもないはずです。

ただ、脅威から人々を守る方法を考える事はやめてはいけないと思います。この辺りは知識や権力のある方によい方法を編み出してもらえるように期待を寄せていたいです。やっぱり私なんかはちっぽけですから、私が出来る事と言ったら平和を愛する心を持ち続ける事でしょうか。


「偽善」という言葉も、注意して使うべきかと思います。
戦争反対とネット上で言葉にしたり、ささやかな募金をすることなどを謙遜して偽善と思っている人、いませんか?
もっとストレートな心でいて良いと思うのです。

「やらぬ善よりやる偽善」という言葉も私はあまり好きではないです😅
行動しているのは尊い事で、偽善なんて思わなくて良いし、
反対に何も行動していなくても静かに温かい心を持っている事、これも非常に重要な事だと思います!

やらぬ善よりやる偽善、と言われた時点では何もしていなかったとしても、人により出番はそれぞれだと思います。いざ自分の出番となった時に健全な心を保っていた方が絶対良いと思うんです☺️



ただ、本当にタチの悪い偽善もありますから、難しいですね。




私も、心を整えて、鍛えて、信頼される言葉を使えるようになりたいです。

平和を願っています。


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