愚かさは一瞬をワシ掴んで満足する。
おはようございます。日曜日です。明日は祝日取引が実施されます。プログラムが完成して初めての祝日取引なので気を引き締めて臨みたいと思います。とはいってもルーチンをこなすだけです。
さて、今日は狡猾な倒錯をいつまでも断つことができない愚かさについてお話しようと思います。
「死の密約を受け取って、死を見ない憎しみを作る虫」と言うと、何を考えますか?空想は虫を描いたりします。空想は絵空事で探し物をするのです。空想にとっては死さえ絵空事です。答えはそれ以上説明の要らないワシ掴みです。すなわち、「死がすでに乖離を仕込んだ」ということです。虫をかぶった死です。空想が描く絵空事の死ではありません。原初的な死のことです。原初的な死と絵空事の死を混同するのを予防するために補足しました。その虫は、その「作った死を見ない憎しみ」から決して目を離しません。その虫の内に働いた死の順理によって目を離せないのです。作るのは一瞬です。乖離は永遠です。死はその乖離に向けられる興奮を喜びます。虫もその乖離に向けられる興奮を喜びます。愚かさはその永遠の中で死と虫と目を一にするのです。死と虫と目を一にした愚かさは途方もない時間を蝕みました。言葉では言い表すことが不可能です。その死がどのように打ち砕かれるかも言葉では言い表せません。死と虫と目を一にした愚かさもです。