男女差別って本当にダメなの?の巻
なんだかタイムラインがめちゃくちゃ盛り上がってて、どうしても書きたくなったので書きますね。
私は新卒で外資IT企業(いかにもシリコンバレー☆な)に入ったんですが、
なんというか、さすがそういう会社なだけあって
ダイバーシティ!
男女平等!
人種差別は言語道断!
みたいな感じで、研修もかなり徹底されていたんですね。
で、その中で受けた一番印象に残ってる研修の話を書いてみるんですけど、
それがずばり
「差別がなんでダメなのか?」
でした。
じゃあ、実際にどんな内容だったのかというと、最初に言われたのは
・本人の努力では変えられないことで待遇を変えるのが「差別」
・本人の努力で変えられること(=スキル)で待遇を変えるのは「区別」
ってことでした。
つまり具体的には人種とか、性別とか、生まれた場所とかですね。
そして、その上で「差別ではなくスキルで区別をしろ」って話だったんですが、
その前にそもそも「なんで差別がダメなのか?」という問いに対しての答えがありました。
それで、これが
差別はダメだから
人間は平等だから
差別された人が可哀想だから
とかじゃなくて
差別があると、した人もされた人も含めて、全員がやる気をなくすから
というものでした。
例えば営業だったとして、
『大手の日系企業は、日本人が担当につくべき』
と言われたら、日本人のメンバーは、努力しなくても大きいクライアントが任されるので頑張るのをやめます。
そして、日本人以外のメンバーは頑張っても無駄なので、努力をやめます。
そうすると結局、チーム全員が努力をしなくなります。
でも『日本語が堪能で、営業スキルが高いメンバーを優先的に、大手の担当にする』と言えばどうでしょうか?
全員が営業スキルを磨くようになるし、日本人以外のメンバーは日本語を身に着けようとするでしょう。
すると、結果的にチーム全体のスキルがアップします。
…という趣旨の例を話されたと記憶しています。
なんというか、あまりにもロジカルすぎて
「マジで外資系ITっぽいなー!!」というのが正直な感想ではあったんですが
・差別があった方が、実は全員努力しなくてすむ
・それでも差別をなくした方が全体にとって良い
というのは本質を突いてるなと思って、いまだにその研修のことはよく覚えています。
例えば医大の件も
・男性は有利→だから過度に努力しなくてよい
・女性は不利→だから諦めよう
・性別で仕事の成果は違う→だから試験で能力を必死に見極めなくてよい
の方が、実は男性も女性も大学も全員ラクできるし、短期的には効率的なんですよね、おそらく。
でも、結果として全員スキルが上がっていないので、成果を出せなくなってしまう、ということなのかなと思います。
あと、これは個人的な意見だけど差別のやっかいなところは
差別があった方が短期的には合理的な場合がある
ってことで、でも
それでも差別をなくした方が、結局全体の利益が大きいはずだ
という決断をしたのが日本含めた近代国家のはずなので、「必要悪」って意見に対しては
必要でもダメって結論を出した国に住んでるんだよ
と思いました。早く理想が達成されて欲しいなと心の底から思います。