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日本酒『八海山』を開けたなら、山の話をしたくなる。

日本酒『八海山』を開けたなら、山の話をしたくなる。


山は地球のちょっとした隆起だ。自然にそこだけが少しでっぱっただけのこと。しかし、高い山はなんだかありがたい気がする。


僕は山の関心がない。八海山が実在する山なのかわからなくてググったくらいだ。八海山を登ることはなさそうだ。よっぽどの人生紆余曲折が必要だろうなと思う。

僕は紆余曲折あって富士山にだけは登ったことがある。大学の研究室を決めるという特別な日に限って寝坊し、他大学で研究(外研)することになった。そこで仲良くなった友人の実家が富士山の近くらしく、「帰省ついでに富士山登るから」と理由なき理由で誘ってくれたのだった。

山のことはよく知らないけれど、登ってみれば富士山の素晴らしさをより知ることができると思っている。それは自分の経験を美化しているだけかもしれない。

高い山はありがたくて、とくに山頂は神聖な場所であった。一緒に登ったヘビースモーカーの友人が、山頂での一服のために二晩禁煙したくらい日本一の山の山頂はありがたいのだ。


僕が通った小学校は4階建てで、校庭に向かって『く』の字の建物だった。建物の3分の1くらいが30°くらい曲がっているので、もう少し正確に表現すると『へ』の形の方が近い。

僕が小学校を思い出すとき、一番最初に想う言葉は「キレイ」だ。僕が通っている間に開校20周年のイベントがあったはずなので、新しい校舎だったのだと思う。設備も含めてキレイだった記憶がある。

僕が通った小学校から富士山が見えた。僕は冬にだけ見えると思っていた。夏でも見えていたけど雪化粧でわかりやすくなって僕が認識しやすくなったのか、冬の透き通った空気のおかげで冬にだけ見えるのか、真相はわからない。しかし、冬にだけ見えるという奇跡感が僕にはありがたかった。

小学校から富士山が見えるのは3階から上だけだった。3階の教室を使うようになるのは4年生からだったと思う。低学年のときに「4年生になったら教室から富士山が見えるよ」と教わったわけではない。ある冬の日の授業中、ふと外を見たら富士山の形をした山があることに気が付くのだ。雲1つない快晴の青い空に白くて左右対称の台形の山が見えたとき、なんだか清々しい気持ちになり、嫌いだった冬が少し好きになった。


僕にとって富士山以外は『山』と一括りになってしまう。それはほかの山を認識るのが簡単ではないからだと思う。他の山々は連なっているので、区別するには知識が必要になってくる。誰にでも認識できる富士山の存在感と美しさがそこにあると僕は思う。


八海山については何も書けないので『山』と大きく括ったけれど、結局は、富士山が僕にとって特別な存在であることを認識できた良い時間になりました。

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