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生活科の記憶。

小学校1年生のとき。

春から夏にかけて、アサガオを育てた。黄緑色で硬かった実の皮が少しずつ乾燥してパリパリになった。茶色くなった皮の下には黒色の小さな種。薄くパリパリになった皮を破って、種を獲るのがたのしかった。どの実でも、1つの実の中に種は必ず同じ数ずつ入っていたのが不思議だった。

冬から春にかけては、チューリップを育てた。アサガオは種だったけれど、チューリップは球根を埋めた。1人1つ、自分の下駄箱に置いていた小さなジョウロ(アサガオのときとおんなじジョウロ)で、毎日水をやるように言われた。冬が過ぎ、暖かくなってきて、水は小さなジョウロで2回分やるように言われた。水を汲むための水道は下駄箱の近くにしかない。下駄箱とチューリップの鉢がある場所とは、小学校1年生の私にはものすごく遠く感じた。2回も往復するのが面倒で、ジョウロ1回分の水しかやらなかった。春になり白色のチューリップが咲いたけれど、私のチューリップは咲いてすぐから花びらが散りそうな程開いていて、周りの友達のものに比べて枯れるのが早かった。私は、水を1回分しかやらなかった自分のせいだと思った。

先生は、時々校外の「いのうえさんちのあきち」と「ささやまこうえん」というところに散歩に連れて行ってくれた。「いのうえさんちのあきち」には、夏にはオシロイバナの種があり、冬には「ジュジュ玉」があった。名前が分からないたくさんの草花の「くっつき虫」があった。背の高い草をかき分けて、たくさん遊んだ記憶がある。たくさんの植物をちぎって持って帰ってはノートに貼った。「ささやまこうえん」には、ヒコーキの形をした滑り台があって、ただ何だか薄暗くて少し怖かったことを覚えている。

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小学校2年生のとき。

ミニトマトを育てた。2年生になると食べられる植物が育てられるのが嬉しくて、わくわくした。私のミニトマトは、クラスで一番最初に実がなった。緑色の大きな実だった。私はそれが誇らしかったけど、次の日見るとその実が落ちていた。先生は、実が重過ぎて落ちたんだろうね、と言ったけれど、私はクラスの誰かがわざと落としたんじゃないか、と思った。私のだけではない。出席番号が近かったちかちゃんのミニトマトの実も落とされていた。誰より早くトマトが食べられることを楽しみにしていた私は悲しくて、悔しくて、ちかちゃんと一緒に泣いた。

おうちにあったハンガーをみんなでたくさん持ち寄って、リースみたいなのを作った。秋の木の実、まつぼっくりなんかをぶら下げた気がする。仲の良かったさきちゃんがすごく素敵なリースを作っていた。

老人ホームにに住むおじいちゃん、おばあちゃんたちにおてがみを書いた。お返事が来て、そこには「まかちゃん」と書いてあった。私は「まいちゃん」なのに、読み間違えたんだな、と思った。そこの老人ホームでは、「こうちゃん」という犬を飼っていることを教えてくれた。まかちゃんのおじいちゃん、おばあちゃんのことも大切にしてね、と書いてあった。

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生活科は、平成元年に改訂され、平成4年から実施された学習指導要領に新たに設置された教科である。それまでは小学校低学年においても理科、社会が実施されていた。

私は平成4年(1992年)に小学校入学した。後から知ったことだが、文字通り私は、「生活科第一世代」だ。(そう言えば、集団登校のとき上級生たちが、生活科を珍しがって、教科書を見せて、とせがんできたのを覚えている。)

生活科は、直接的な体験を中心とした教科で、従来の理科、社会のような体系的な内容は含まれない。よって特に設置当初は、理科教育の教員や研究者からは批判も多かったようだ(今も、その教科としての妥当性には疑問を投げかける声もある)。体験が中心になることから、児童の気付き、感情に重点が置かれるあまり、「体験あって学びなし」という批判もある。理科教育に携わる身としては、その批判はよく分かると思っている。

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確かに振り返ってみると、私は生活科で何かを「学んだ」のだろうか。たくさんのことを覚えてはいる。特に小学校1年生のときの担任の先生は、まだ時代がそれを許したこともあるであろう、生活科の授業の際には学校外にも連れ出してくれた。そこから持ち帰った植物の葉や種を貼り、絵や文字で感じたことを表現したノートは2冊になった。(そのノートを時々見返すのも好きだった。今は、そのノートを捨ててしまったことが悔やまれる。)

いまになって振り返るとたくさんの「気付き」がある。五感を通して感じたことはこうも鮮明に記憶に残るんだなぁ…と自分でも感心するくらいだ。ただ、小学校1、2年生、また理科を学ぶ中学年以降の私がその学びを自覚できていたかというとそうではなかったように思う。

生活科は、児童自身の体験が重視される一方、中学年以降の理科、社会へとつなぐよう「気付きの質」を高めることが重要とされる。生活科が公教育の中で実施される以上、目的やねらいがあり、それを達成できるよう教師が手立てを講じるのは必要なことだ。そして、そのためには児童が「気付き」を自覚できるようにし、より「質の高い」気付きを目指していくことが求められる。

ただ、純粋な体験はそんなに簡単に方向づけられるものであろうか。目的、ねらいを定めざるを得ない場所(目的、ねらいを定めること自体はもちろん必要である)と、純粋な体験とは、どうも相性がよくない気がしてならない。そこでは残念ながら、ずっと後から感じる「気付き」では、目的やねらいの達成にはならないのだ。

「いのうえさんちのあきち」でひたすらに遊ぶ私が、「学んだ」ことはなんだったのだろうか。そのとき、その場での私の「気付き」はあったのだろうか。

#エッセイ #私の仕事  #科学と物語とをつなぐ言葉 #理科教育   #生活科教育

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