【追悼】 社会起業家磯部 一郎さんを偲んで!【絶望って何だ⁉️社会復帰へ特別版】
私が母国・日本のためにもう1度,挑戦しようと決意した恩人であり,友人であり,人として尊敬できる磯部さんのお通夜へお伺いしました。
9月26日46歳の若さで生涯を遂げた磯部さんの生き様は,私の想像を遥かに超えた癌との闘いを全うしたように感じました。
300人を超える弔問客は,遠方からも数多くご参列され,また,幼少期からSNSを通して,数回だけお逢いした方々,磯部さんのご尽力により起業された多くの方々など,磯部さんのお人柄の素晴らしさを改めて,感じました。
磯部さんと私は,お互い長期間リハビリを経験している同志のような経験談を交わすことが多々ありました。
磯部さんは,癌,私は,大火傷など,病気と怪我と内容は異なりますが,何も余命宣告を受けました。
磯部さんの著書,生き急ぐの中に描かれています言葉に私が初めに印象的なフレーズは,『命は有限』と表現された言葉。
人は,日常生活を送る中,普段,あと何年生きられるかを考えながら,生きる意識を持つことは,殆どありません。
しかし,お互いに,余命宣告を受けた後,『死』への恐怖から,残された時間を有意義にするために,残された命をどのように活用するか,数多く議論しました。
そして,お子様達に,父親としてアイデンティティを遺せる存在として,著書『生き急ぐ』を描かれた動機など,感銘と共に,1989年以降,フランスで生き残るために,挑戦し,2021年以降,万博へフランス,アイルランド,イタリアなど欧州諸国を軸の活動が人生の最期の機会と決めている身として,母国・日本へ貢献できるならばと,日本側に関わる決意をしたのは,磯部さんとの出逢いがキッカケです。
もし,磯部さんと出逢わなければ,日本側に関わる決意はしなかったと自負します。
率直に,自分の身体を顧みた時,無謀な決断です。
本来ならば,身体を休めなければならない状況です。
しかし,残された « 命を有限 »に活用するならば,今,逢うことが叶わない,最愛の子供達のために,次世代のために,将来,彼ら彼女達が日本に生まれて良かったと思える環境を整えるならば,私が日本に関わる意義があると思い,挑戦しています。
昨日,磯部さんの棺に感謝を述べると共に,お母様や磯部さんを通じて,ご縁をいただきました河合さん,露本さんなどへご挨拶して参りました。
磯部さんが生前,Xへ最期のメッセージに描かれていました,お言葉を抜粋します。
僕がこの数日見ていて、様々な国からやって来て、日本の文化を評価しているショートムービーを観ていました。
まず空港の清潔さとホスピタリティのたかはからはじまり、ゴミや落書きがないこと。
新幹線に始まり、自然と列をなして他人への配慮と、食と自然が豊富だということなどなど、その中心には我々に幼いころなら教育されてきた日本精神をもった人がいることがレベル違いで高いこと、それがために成立しているということでした。
僕は著書「生き急ぐ」を通じて、自分の価値観を発信してきましたり元々の目的は病気が治っても治らなくても2人の子などもたちが将来的に迷わない指針としてかきました。
いま、酸素濃度は60。
最後のお願いがあります。
皆さんの当たり前の価値観から来る感度を広げる活動を利益度外視で広める活動に協力してほしい。
我が家のためてまはなく、日本人としての誇りを取り戻すために。日本人がもつこの精神性こそ我が国が誇る最大のコンテンツなのでは、ないでしょか
僕のことをみて凄いと感じているあなたも、同じように海外から見たら同じように凄いんです。
その事を意識して協力して成し遂げられる環境を部下に作るように命じます。
手段は問いません。
どうか次の世代の若い人達の為により良い社会を作る為に協力して活動出来る組織を作って広めて貰えたらお香典やお花やお悔みメッセージよりも100倍しいです。
最後になりますが皆さんの健康でご多幸を天国から見守っていきたいと思います。
この言葉に,磯部さんと8月27日に企画していました【『生き急ぐ』から学ぶ世界から見た日本の魅力】をテーマに,磯部さんをご紹介いただきました中林 久さんが主宰を務めます朝6読書会へ13日朝6時30分より登壇します。
磯部さんへ感謝を込めて,そして,磯部さんから学んだ日本人としてのアイデンティティを遺された命を有限に活用して参ります。
磯部さん
ありがとうございます🙇
Le Coeur japon
Hiroshi Sugisaki