ブログのプロフィール記事転載します(長文)
※本記事は2020年2月20日にブログにて公開していたプロフィール記事をリライトしています。
現在の状況と多少異なる点がありますが、記録のために残しています。
初めまして、マイと申します。
ご訪問いただきありがとうございます!
まずは、皆様にご挨拶を兼ねて自己紹介をさせていただきます^^
人生の満足感を高めたいなら、自分軸を明確にしよう
2019年に、私は「内向型」「HSP」という2つの概念と出会いました。
それまでの私は、自分に自信が持てずに人の意見に流されたり、言いたいことややりたいことを主張できず諦めがちだったのですが、
これらの概念が、私の人生観を大きく変えてくれたのです。
直さなきゃいけないと感じていた「欠点」は、捉え方次第で「長所」になる…。
内向型、そしてHSPは、「自分は自分でいいんだよ」と 過去の私を包み込んでくれるような概念でした。
そして、自分を受け入れていくことで、徐々に「自分の本音」を思い出すことができたのです。
自分の本音に沿って生きる=自分らしく自分軸で生きる
それを意識し始めてから、どんどん生きやすさが増していく実感があります。
自分自身これからもっともっと自分らしさを取り戻していきたいし、周りにもそんな人が増えたら素敵だなと思い、こうして発信することを決めました。
私は私でいい、あなたはあなたでいい。
そんなメッセージを、いろんな角度から伝えていけたらなと思っています。
頑張っているのに、幸せを感じられない
本当はやりたいことがあるのに、周りを気にして言えない・やれない
周りを優先してしまい、自分が後回しになってしまう
特にこんな方に読んでもらえたら、心がホッとするんじゃないかな?何か気づきになるんじゃないかな?なんて思います。
これから地道に更新していきますので、是非ともゆるーい気持ちでお読みいただければ嬉しいです!
…さて、先ほど「内向型・HSP」を「過去の私を包み込んでくれるような概念」と言いましたが、
ここからは、そんな私の「過去」について語ってみようかと思います。
「自分らしさ」発見までの道のり
好奇心旺盛な幼少期→自信を失った小学校時代
2人姉妹の長女として、ごく普通の家庭で育った私。
幼稚園時代は、活発で好奇心旺盛な女の子でした。
演劇で「ピーターパン」をやるとなれば、主役のピーターパン役に立候補してノリノリで演じたり、
ピアノを独り占めしていた友達に「○○ちゃんばかりダメだよ!!」と真正面から向かっていき、結果大ゲンカになる…という正義感にも溢れた(?)子どもでした。
ところが、小学校に上がって起きた2つの事件により、私の性格は変化していくことになります。
まず一つ目、その名も「ポエム事件」(笑)
学校の授業中の出来事でした。
国語だったのか定かではありませんが、各自で「ポエム(詩)を書いてみよう!」ということになったので、みんな思い思いにポエムを作りました。
私が書いたポエムはこんな感じ(詳しい文言は覚えていないので内容だけです)↓
当時、我ながら「いいポエムができた!!」と思った私は、意気揚々と先生に提出。
褒めてくれるかな?とワクワクしていると、先生は一言。
「…雲に感情はないよね?」
もうその言葉が衝撃過ぎて、その後のことは記憶にありません(笑)
ただ言えるのは、それが「自分の感性に自信を無くし、ふたをするきっかけになった出来事」ということ。
自分に正直だった幼稚園時代とは打って変わって、この頃からは周りからどう思われるかを重視し始めたのです。
そして事件二つ目は「裸の作品事件」(笑)
これは図工の授業でのことです。
人の形をした紙に、自由に洋服や髪の毛を作ってくっつけていくようなものでした。
恐らくですが、テーマは「将来の自分」だったのだと思います。
事件名から想像つくかもしれませんが…
私は考えに考えすぎて、結局ほぼ「裸」の状態で時間切れとなり、そのまま展示されてしまったのです。
(母は「マイの裸を晒しているようなものだ!!」と激怒していました…)
じっくり考えるのは私の特性とも言えるのですが、「ポエム事件」の影響もあったのか、
「みんなどんなの作っているんだろう?どうすれば”変”だと思われないかな?」
そんなことばかり意識していたように思います。
私が変わったきっかけは、学校だけではありません。
これは「事件」というほどのものではないのですが、
ピアノを習っている友達を見て、楽しそうだなぁ…私もやりたいなぁ…と思ったので、母に「習いたい!!」とお願いしたんです。
すると「うちはお金がないから無理だよ」と習わせてもらえませんでした。
(特別「貧困家庭」というほどではないと思うのですが、確かに裕福ではありませんでした)
何度か食い下がったのですが(笑)「ピアノを買うお金だけじゃないんだよ。発表会の衣装とか、他にもたくさんお金が掛かってね…」などと説得されてしまい、
小学生の私には、当然自分でお金を調達することなどできず、泣く泣く諦めました。
この2大事件+αにより、私の心には
「自分を表現するのが怖い」
「慎重にじっくり考えると置いていかれる」
「やりたいと思っても無駄」
といった思い込みが植え付けられてしまいました。
その結果、親や先生の言うことをよく聞く、真面目に勉強していい成績を取る…といった振る舞いが身についていき、
周りから「いい子」「真面目」「しっかり者」と言われるようになりました。
「自分らしさ」を見出し始めた中学→高校時代
中学に入っても真面目な印象は変わりませんでした。
ただ、それが功を奏したのが高校受験。
真面目に勉強する癖がついたことで、成績はかなり上がっていました。
英語のテスト返却の日に先生が模範解答を忘れたため、誤答が1問のみだった私の解答用紙を見ながら解説する(!)という驚きの出来事も…。
ということで、高校は「学区内で1番偏差値の高いところに入れる」と言われていたんです。
しかし、実際受験したのは2番目の高校でした。
というのも、その高校はちょっと珍しい学校行事があったり、校風が自由で楽しそうだったりして、どうしてもここに行きたい!!と思ったんです。
高校受験というイベントをきっかけに、「自分が本当にやりたいこと」と向き合うことができました。
そして油断することなく勉強を続け、無事に合格。
晴れて「自由な高校生ライフ」が始まったのです。
「やりたいことに正直」な姿勢は、部活でも培われていきました。
新入生に向けた「部活紹介」で、吹奏楽部の先輩がカッコよくソロを吹いている姿にめちゃくちゃ憧れた私は、さっそく入部してその先輩と同じ楽器を希望しました。
しかしさすがに希望者が多く、残念ながら私はその楽器の低音パートに。
結果、ソロを吹く機会には恵まれませんでした。
1年やってみて低音の魅力を知ったものの、ソロへの憧れが捨てきれず…。
そこで私は、2年生になり先輩が引退したタイミングでソロの機会が多そうな別の楽器へ変更を志願。
(今思うと、どんだけ目立ちたいんだっていう…笑)
またイチから始めることになったのでとても難しかったのですが、自主的に朝練などを積み、最終的にはソロを吹くこともできました。
本当にやりかったからこそ、こんな大胆な行動に出られたのかなと思います。
一方で、辛くて仕方がなかったのが大学受験です。
高校は生徒のほとんどが大学受験するような進学校だったのですが、私には特別学びたいことが見つかりませんでした。
かと言ってやりたい仕事もなく(まだ「社会人」になりたくない気持ちもあったと思います)。
強いて言えば、「音楽とか好きなことで食べていけたらな」なんて気持ちはありましたが、「狭き門だし…」「現実的じゃないよな…」と半分諦めていました。
というわけで、とりあえず周りに合わせて受験勉強を始めるものの、それはそれは捗りません…。
少し前まで成績だけには自信があったのに、受験勉強が始まってからどんどんみんなに追い越されていきました。
加えて、親には「私立大学の学費は払えない」と言われ、公立・国立の中から選ぶことになりましたが、ますます「行きたい」と思える大学が見つからなかったのです。
今思い返すと、「本当にやりたい」と思えないことへの努力はこんなにもしんどいんだな、ということがよくわかる体験でした。
周りに流され、自分の気持ちときちんと向き合わなかったために辛い時期となってしまったのだと思います。
人生を模索する大学時代
結局は、私立でも夜間の大学なら学費が安く、偏差値も低めだということがわかり、どうにか(とりあえず)進学します。
しかしその後の方向性が決まらないまま、昼はアルバイトをしたり、バンド活動をしたり…。
実は高校の吹奏楽部引退後、例の先輩が担当していたのと同じ楽器を自分で購入していました(ためていたお小遣いをはたきました)。
その楽器を使い、ホーン隊(管楽器)のあるバンドに加入したのです。
前述したように「音楽で食べていけたら」という気持ちが多少なりともあった私なので、ようやく一歩踏み出した感じでした。
好きな音楽ができるのは楽しかったし、新しい自分になれた気がして嬉しかったです。
が、私だけ初心者だったことでなかなかついていけず、焦りや不安、申し訳ない気持ちに…。
大学×バイト×バンド、という3足のわらじだったこともあり、時間的にも金銭的にも精神的にも余裕はありませんでした。
家で音を出すことができない楽器のため(音が大きくて近所迷惑)、自主練にも限界が。
「できる範囲の努力」はしているつもりでしたが、同じホーン隊のメンバーから
「頑張っているように見えないんだよね」
と言われたのにはグサッときました…。
そして気づけば、「好き」で始めたはずの音楽が「義務感」により辛くなっていたのです。
大学はというと、(ご想像通りかと思いますが)入学当初は多少あった「学ぼうという気持ち」はどんどんなくなり…
その状態で通うのに耐えられず、結局1年半で自主退学。
それとほぼ同時期に、バンドからも脱退しました。
バイトはそもそも転々としていたので…(汗)
20歳の夏、結局私は3足のわらじを一気に脱ぐことになってしまったのです。
右往左往する社会人時代
今で言う「ニート」になってしまった私。
家では個人部屋がなかったので(妹と一緒の部屋)、どことなく落ち着ける環境ではなく、
「とにかく何か仕事しなきゃ!」と焦りながら職探しをしていました。
そして、1ヶ月弱かけてようやく、大好きな雑貨屋さんにアルバイトとして採用されました。
しかし、それから長きに渡り転職し続けることになるとは、当時はまだ知りません…。
まず雑貨屋→アパレル兼雑貨屋と2社の接客業では、好きな商品に囲まれて働けるのが楽しかったけれど、
「声が小さい」と怒られたり、作業中に声を掛けられて集中できずイライラしてしまったり、どちらも忙しい店舗だったため時間に追われて気持ちが落ち着かなかったり…。
結局それぞれ1年、2年で退職。
アパレル業の時に念願の一人暮らしを始めた私が次に選んだのは、お給料に惹かれたコールセンター(電話大嫌いなのに笑)。
案の定クレーム対応で怒鳴られ委縮したり、マニュアル外の対応に四苦八苦したりと辛い日々…。
3か月ほどでさっそく「辞めたい」とこぼしたのですが、上司が「事務処理チーム」に移ることを提案してくれ、幸いなことに電話を取らずに済むようになりました。
そしてこの事務チームが、私にすごくすごく合っていたんです!
一日の中で「やるべきこと」はあるものの、ある程度自分で順番を決めたり、自分のペースで進められる。
電話対応がないので、目の前の作業に集中でき、マルチタスクにならない。
自分で「今日はここまでやるぞ!」と目標を立ててコツコツできる。
そんなところがよかったなぁと思います。
正直に言うと、初めて「辞めたい」と思わずにいられた仕事でした。
が、それも長くは続かず…事務に入って1年を少し超えた頃、扱っていたサービスの終了とセンターの閉鎖が決まってしまいました。
ということで一旦別のセンターへ異動し、再び電話業務に戻ったのですが……結局異動後9ヶ月で退職することに。
前職で事務処理が得意だと気づいたため、次もやはり事務職に転職しました。
しかしこの職場で、これまでで一番精神を病むことになりました…。
例えば、
上司が教え下手で、あまり仕事を振ってもらえない(「やることありますか?」と聞いても、待たされたまま長時間放置)
自分で仕事を探そうにも、新人には難しかった
周りに人が多いフロアのため、自由にすることもできないし、何もしていないと気まずい
上司のちょっとした舌打ちなどが気になる
などなど。
教えてもらった仕事は、普通にやると余裕で午前中に終わってしまうので(汗)
いつしかゆっくりゆっくり引き延ばしながらやるようになってました…(むしろそれでも時間余る)。
「これしかしてないのにお給料もらえるなんて、楽だしラッキーじゃん?」
…なんて思えません(前述したとおり、根は真面目なので笑)。
出勤中に他の課の先輩に遭遇した時、「そんなに下向いて歩いてたら危ないよ!」と注意され、無意識に視線が下がっていたことに気づく…なんてことも。
この時診断は受けなかったものの、どうやら「うつ状態」だった私は、転職先を決めないまま1年で退職。
次に働けるまで丸2ヶ月以上あいてしまい、せっかくの貯金がみるみる減っていきました。
我慢して働いてお金を貯める→我慢しすぎて心が病む→回復させるためにそのお金を使ってしまう…
この時は本当に「何のために我慢したんだろう?」と思いましたね(涙)
そして、体と心を休めながら転職先を探して早2ヶ月。
焦りもあり、以前働いていたアパレル兼雑貨屋へ出戻りました(笑)
前は忙しすぎる店舗だったため、自分のペースが保てず辛くなってしまったけど、
当時スタッフ募集していた店舗はもう少し客層が落ち着いていそうだったので、雰囲気違うかも?と思ったので。
見事その予想は的中し、忙しすぎず暇すぎず、とても働きやすい環境でした。
意外と仕事を覚えていたり、人間関係にも恵まれて居心地も良し。さらに勤務地が家から近い!
楽しく働いているうち、気づけば3年以上が経っていました。
その間、29歳の時にプライベートでは結婚という大イベントも迎えたのです。
ダイエット成功、本気になればできるんだ!と気づく
交際4年ほどの彼との結婚が決まり、結婚式に向けて話を進めていたときのことです。
ブライダルフェア(式場を見たり、料理を試せたりするイベント)でドレスを試着できる機会がありました。
白いウエディングドレスに憧れがあったので、ワクワクしながら着せてもらったのですが、後で写真を見て唖然。
に…二の腕太っ!!!
実は、小学校低学年から「ぽっちゃり」以下になったことがなかった私(特にピークの中2前後はぽっちゃりじゃおさまらないほど笑)。
高校時代は吹奏楽部のおかげで自然と少し痩せたものの、何度もダイエットに挑戦しては、挫折を繰り返していました。
なので、和装にするか?とか、袖のあるドレスを選ぶか?とかも考えましたが…
「やっぱり自信もってウエディングドレスを着たい」
そんな思いから一念発起。
結果……半年ほどで-6kg達成!
友人にも「え、めっちゃ痩せたね!!」と驚かれるほど。
それまで一度も成功しなかったダイエットでしたが、「本気になればできるんだ」と感じ、自信になりました。
心の病再び…働き方を考え直す
楽しく働きながら、結婚…30代のスタートは順風満帆かに見えました。
が、そんな時勤務先店舗の閉店が決まり、異動を余儀なくされてしまいました。
ただ異動先は新店舗で、同じ路線のそれほど遠くない場所だったため、ほとんどのスタッフが一緒に異動することに。
ほぼ同じメンバーで働けるなら安心だな、むしろ新しくてきれいなお店になるのは楽しみだな、と思っていました(異動前はかなり年季の入った店舗だったので;)
ところがいざオープンしてみると、客層がガラリと変わり、雰囲気もまるで違う…。
館自体がニューオープンだったので、周辺のお店も活気がすごい。
無意識に影響を受けて、「もっと声を出さなきゃ!」と頑張りすぎていました。
さらに、オープンから2か月後にはインフルエンザにかかってしまい、冬のセールに穴をあける事態に。
一方家庭では、結婚後もフルタイムで勤務しながら家事の大半を私がしていて、「もう少し手伝ってくれたらいいのに…」と不満を感じ始めていました。
無意識に頑張りすぎたことに加え、忙しい時に休んでしまった罪悪感、家事に協力的でない夫へのイライラ…
様々重なったことで再び精神不安定になり、今度は「適応障害」と診断を受けました。
先生の提案で2週間休職してみるものの、仕事に戻るとすぐ不安定な状態に逆戻り。
今思えば、原因は「仕事と家事の両立」だけでないことは明白なのですが、
当時は「家事をしているのにフルタイムで働くなんて無理!!」という思い込みがすごくて(汗)
(その反面、仕事・家事・育児を両立している人もいるんだよな…なんで私は子どももいないのにできないんだろう…という自己嫌悪の気持ちも。)
「お金が心配」と渋っていた夫をなんとか説得して、フルタイムからパートへ変更してみましたが、やはり続けられずほどなく退職。
有休を消化しながら、またしても2ヶ月仕事をしない日々が続くことになるのです…。
しばらく仕事から解放された私は、自分と向き合ったり家の中を整えたりして、少しずつ落ち着きを取り戻していきました。
そのあとに始めたパートは、今も継続しています(2020年の後半で勤続5年)。
最初こそ高圧的な上司にビクビクする日々でしたが、その上司が異動してからは平和に働くことができているのでホッとしています。
ただし、この頃からは仕事よりも家庭に問題意識を持つようになっていきました。
前述したとおり、適応障害になった時には「家事をしているのにフルタイムで働くなんて無理!!」という思い込みがありました。
ここには、
妻は家事をしなくてはならない
いい妻でいなくてはならない
家事はちゃんとしなくてはならない
夫は私をわかってくれない
夫に頼れない
言いたいことを言えない…
など他にもありますが、たくさんの隠れた私の気持ちや思い込みがありました。
当時はまだはっきり自覚していなかったので「仕事の負担は減ったのに、なんだか楽にならないな…」という漠然としたモヤモヤ、といった感覚でした。
そんな中、「そのうちまた勤務を増やすだろう」という思いで扶養に入らずにいたことを思い出しました。
そして「もし扶養に入れば払わなくていいはずのお金がこんなにもあるんだ…」ということに気づきます(国民保険や年金など)。
またしても「私、何のために働いているの?」という悲しい気持ちに。
夫には、フルタイムからパートに変更するときもなかなか受け入れてもらえなかったので「今回も難しいだろうな…」と相談するのが億劫でした。
もともと気持ちを言葉にするのが苦手で、感情が高ぶると涙が出そうになり話せなくなることもある私。
もめたり喧嘩したりは嫌だなぁ…とは思いましたが、さすがにこの時はずっとこのままでは耐えられなかったので思い切って話しました。
案の定、「もうフルタイムには戻らないつもり?一度扶養に入ったらずっとそのままになっちゃわない?」などと渋られましたが…(確かにそうなんですが)
1ヶ月ですらこれだけ無駄に払っている!そんなにすぐにはフルタイムに戻れないよ…と訴えて(それでも嫌々ながら)どうにかOKをもらいました。
わかってもらえない悲しさもありつつ、反面とりあえず一安心でした。
最大の転機 【内向型】【HSP】の概念と出会う
とにもかくにも、これで時間・心・お金に少し余裕ができ、自分と向き合う余裕も生まれてきました。
おかげで、気になっていたことやモヤモヤしていたことを、本やネットでいろいろ調べたり学んだりできるように。
そんな中で、冒頭でも言った「内向型」や「HSP」という言葉と出会うことになったのです。
それまでの私は、自分にはこんな「欠点」があると思っていました。
じっくり考えすぎてしまう
マルチタスクが苦手
しゃべるのが苦手(言葉が出るのが遅い)
機嫌の悪い人が近くにいるだけで(直接害がなくても)辛い
些細なことを気にする…など
私自身、これらは「直すべきもの」だと思っていました。
しかし、自分が「内向型」「HSP」であるということを知った時に気づいたんです。
「あぁ、これは私が劣っているわけじゃなかったんだ」
「人それぞれ特徴が違うだけ」
「見方を変えれば長所と捉えることもできる」
そう、自分が「劣っている」と感じていたから生きづらかったんです。
「欠点を直さなきゃ」と感じていたから苦しかったんです。
本当に心が救われた気がしました。
それからは、少しずつ努力の方向性を変えていきました。
自分の特徴を無理に変えようとはせず、自分をそのまま受け入れるよう意識したり、
「こうあるべき」の常識より「こうありたい」という自分の気持ちを大切にしたり。
もちろん、長年の考え方のクセは一朝一夕で抜けるものではありません。
それでも、大事なのは「自分らしくいる」こと…これに気づけたことは私にとって「財産」だなと感じています。
今後叶えたいこと:自分らしく生きる人を増やしたい!
かなりの長文となってしまいましたが、以上が私が「自分らしさ」を見つけるまでの道のりです。
私は、内向型やHSPの概念を知って自分は自分でいいんだと気づくことができました。
それまでの私は、他人の基準で自分の人生を決めていたんだと思います。
みんなが言う「幸せ」と自分の感じる「幸せ」が違うということも、最近知りました。
だからこそ、幸せになる方法は人によって違うんですよね。
「現在地」と「目的地」が違えば行く手段も違うように。
「現在の自分」と「叶えたい未来」が違えば、たどり着き方も違います。
自分らしい「幸せ」を目指すのが一番です。
自分らしく生きる。自分軸で生きる。
そんな人が増えること、そしてみんながそれぞれの違い(個性)を受け入れ合うことで、自分にも他人にも優しい世の中になると思います。
私個人としては、他人や常識に合わせて無理に頑張るよりも、自分が本当に叶えたいことに絞ってエネルギーを使いたいです。
なので基本的にはゆるく生きていきたいな~と(笑)
楽しみながらマイペースに、自分なりの「幸せ」に向かって真っすぐ進んでいけたらと思います。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!
このブログが、皆さんにとって少しでもホッとする場所になれば、心から嬉しいです。
是非、これからの発信も楽しみにしていてくださいね。