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他人は他人の小説の中で生きている。

突拍子もなく文章を書き出す私は一体。。?!そう、毎日オムライス堀内通称毎オムとは私だ。

私が個人とは別に活動している、在宅ワークスというグループでは毎日(メンバー交代で)コラムを書いているが、こちらは不定期である。

何度も言っているが、毎日書いて読んでいる人なんているのか?とも思うが、将来への投資という面でも無駄ではないと確信している。

さて、他にも毎週相方とspoonにてラジオの真似事をしているのだが、私は在宅勤務生活でまともに人と話すことがなくなっているので、唯一人と会話できる貴重な時間を頂いている。

リスナーは目に見える分には少ないが聴いてくれる人がいて内心とてもうれしかったりする。それが一人でも嬉しいものだ。

さて、季語はこれくらいにして、今日のラジオ(の真似事)で幼稚園から大学まで各学年の思い出を振り返るというトークテーマについてはなした。

思い返すと、私のモテキのピークをひけらかす内容に自分で何言ってんだ。。と思いつつ相方の幼少期を垣間見ることができた。

今仲良くしている彼は大学からの知り合いである。

なので、私は彼のことを大学からの6年間しかしらない。

しかし、彼も私と同じように20数年間のストーリーを進んできたわけである。

なので、人の過去話を聞くというのはとてもおもしろい。

というのも、今私は小説でいうと彼の第5巻くらいを見ているにすぎない。

つまり、第5巻おもしれえーといいながら彼という小説を読み進めているのだ。

しかし、小説というのは1巻~しっかり存在するわけで、それをしっかり読み揃えたいと言う気持ちになる。

人と付き合う。友人でも恋人でもだが、これは本に似ていると常々おもう。

本はすごい。会うことのない人間のことを知ることができる。知識もそうだが。人が長年考えたことを知ることができる。

人もおなじだ。人と知り合うほど小説は増え本棚が埋まっていく。

しかし、一人に対して深く付き合わず浅い人間関係だけをひろげると、たくさん本をもっているのにあまり読んでいない状態になる。

これがいいのか悪いのか?それは私にはわからない。
が、時間は有限だということだ。

有限の時間のなかで、大量の本を飛ばし読みするか、一冊の本をじっくり読むか、どちらがいいかわからないがそういうことだと思う。

異性と付き合うとはなにか。

私はこの小説をじっくり読むことだとおもっている。

その人のことを理解するには大量の初巻から積み重なった彼女を理解しなければならない。

同性の友人もそうだろう。

そして、彼女、彼の小説に重要人物として登場する私は、将来この彼女、彼の小説を読む誰かにとって面白いか、面白くないかを決める鍵となっているんだなぁとおもっている。

なので、他人の小説を面白くできるか、できないか、は自分も責任があるので、適当な付き合いかたをしてはいけないなと感じる。

私の小説に登場するキャラクターは、とても魅力的な人間ばかりだ。

名作には必ず名脇役がいる。

ではないが、私の小説では、ありがたいことに、しょうもない主人公を彩る名脇役がたくさんいる。

今度は、私が彼らの小説の名脇役にならないと、、という意識をもって日々過ごしたい。

私、彼の小説が最終回を迎えたとき、全巻通しておもしろいと言われるように、私が関わる巻はつまらないと言われないように、関係する以上責任があるなという意識をもって接したいとおもった。

堅苦しくする必要はないとおもうが、その人の小説を盛り上げられる人物になれればと思った、水曜日のよるでした。

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