ベジタリアンとアンチ飛行機の小学生たち
フランスで小学生の双子の子育て中の私が最近気付いたことをつらつらと。
つい先日、お昼ご飯に娘の親友を呼んだ。簡単にミートソーススパゲッティと思って出したら、友人でもある彼女の母親が笑いながら「気にしないでね。でも彼女、今ベジタリアンなのよ」。
7歳児が家族の中でたった一人でベジタリアンになることとかあるんだと驚いた。親がベジタリアンだから子供も、とか、あるいはムスリムの家庭だから子供たちも豚肉を食べないとか、そういうのは簡単に想像がつくが、この年の子供が自己意志を強く示して親がそれをリスペクトするというのはなんだか新鮮だった。ちなみに給食でもベジタリアンメニューをチョイスしているそうだ。(豚肉を食べない子供たちも、ベジタリアンの子供達もいるのでいつも選択肢がある)
フランスでは子供も一人の人間としてみる(新生児の頃から親とは寝るところが別などなど)、ということはよく聞かれる話だけど、私は○○です、という主張ができるだけではなくて、させてあげる環境があるわけか、と納得した。
また、それはうちの娘は本好きで、とか恥ずかしがり屋でとか、電車が大好きで、とかいう話とは少し違う。うちの二人は双子なのに性格が正反対だ。でもそういう個性や性格の違いの話ではない。要は個人として、子供の「思想」とか「主義主張」の存在を認める。そしてその上でそれを親たちがリスペクトするという話なんだなと気付いた。
はっきり自分を主張する、もう少し言えば、主義主張をする。それで自分がこの社会に存在しているんだってことを意識する。それは子供も同じということ。また親は子を個人としてその子の思想の存在を認め、それをリスペクトする。
そんなことに気付いたもう一つのエピソードがある。
大の旅行好きの友人がいる。10年以上を南米で暮らし、その後も仕事で世界中を飛び回っているカップルだ。子供は二人いるのだが、上の子が3ヶ月の時にフランスからベトナムへと旅行をしたというから驚きだ。まだハイハイもしない、普通の食事すらできないような赤ちゃんを連れて遠いベトナムへ行くとはその気力が半端ない。でも彼らの話を聞いているとどうやら気力というよりも赤ちゃんがいようがいまいが同じことをし続けた結果、そうなったということなのだ。泊まる先も高級ホテルやリゾートなんかじゃない。バックパックを背負って、自分たちでスクーターを乗り回していたらしい。
さてそんな家庭の息子さんは今9歳。ちょっと恥ずかしがり屋で小柄、あまり口数の多くない、でもいろんなことに興味を持つ賢そうな男の子だ。昨年の冬休み前に、彼らと次のバカンスはどこへ行くの、という話をしていた時(これはフランス人が大好きな話題の一つ)、最近はあまり遠くに旅行に行かないことにしたのだという。なぜかと聞いてみると、「うちの息子は飛行機に乗りすぎることに反対派だからね。低炭素社会を目指すべきで、飛行機は環境に良くないって。で、確かにそうよね、と思うし、とにかく彼の考えを尊重するために、じゃあ短距離旅行ならいいよね、ということになったの。だからアイスランドに行ってくる」と。子供たちと親である自分たちの間で妥協点を探って一緒に生活をしている、そんな家族像がそこにはあった。
最近はグレタさんなどが象徴するように若い世代では環境問題が身近になっているのだろうと感じる。でもそれは親世代の私たちがその気持ちや考え方を支える方向に動くことでもっともっと大きく物事は動かせるようになるだろうと思う。
「子供だから」と何でもかんでも軽くあしらってしまったり、ましてや真剣に彼らの「主義主張」と向き合うなんてことは忘れがちだったなと我が身を振り返る。子供に自分の意思を持てるくらいの余裕を与える、そんな子育ては素敵だ(大変だけど)。自分とは違う生き物だとよく思う、小学生の彼らを眺めながら改めて思った。
でもそれは逆も同じで、大人たちも子供を一人の人間としてみるから割と手厳しいことを言ったりもする。「あの子はこういう子だから」と突き放す。私としては、もう少しお手柔らかに、と思ったりもするし、まだ7歳児じゃん、と思う。でも個性というものを重要視するからか、あの子はこういう人間だ、というような発言もよく聞かれる。なんだかみんな子供に対して厳しいなぁと思っていたのだが、色々と考えていてなんとなく納得しているここ最近。
ちなみに、私が経験していることはフランスだからどう、とかいうものでもないし、個人差もある。またそれはフランスの中でも社会環境によっては全然違うことが起こりうるわけで、全く普遍化なんてできないという点だけは付け加えておきたい。それはそれでとても重要で興味深いテーマではあるけれど、また別で。