動くそばには、怖さあり
自分で活路を開いていくことが、
いよいよ、現実味を帯びてきて、
では、具体的にどう動く?
に対してのアクションも、
はっきり、描けるようになってきた。
これをやれば、こうなるかも。
そのひとつひとつが、新しい実験で、
たとえそれで、泣いても笑っても、すっ転んでも、わたしはわたしに胸を張れる、自信がある。
そして、そのアクションは、決して、一朝一夕ではなくて、
積み重ねることの先にしかないのだ
ということも見えてきた。
長い長い、実験だ。
成果が見えるのは、一年後以降がザラかもしれない。
でも絶対諦めたくないやつなのだ。
そしてなんと言っても、
そのアクションひとつひとつは、
人目に晒して、自分を出して、
できなくても、できても、
現状の現時点でのわたしを
どーんと、呈示していくしかなくて。
その怖さたるや、すんごい。笑
まだ公に広く見られる場所なら、
なんとか、言い訳のしようもあるし笑
さほど、心の揺れ動きは少ない。
直に面と向かいながら、わたしを呈示していくことに初めて昨日、チャレンジしてみた。
そしたら次から次へと、わなわなと、心がざわつく。
罪悪感
勘繰らなくていいところまで見てしまう癖
(見れもしないものをね笑)
妄想癖
誇大妄想癖(笑)
結局、公にも、個に対しても、
向き合ったときに、
見えてきたのは、張り付いていたわたしの気持ち、概念、考え方の全て。
目に見えること以上のものを、探ろうとするわたしの癖。
怖さの正体は、
嫌われたらどうしよう
傷つきたくないな
どう思われるだろう
そんなところからきていると思っていたけど、
(多分それもある)
蓋を開けてみると、
行き過ぎたわたしのただの癖
自分で増した感情のかたまり
だった。
怖さって、わたしから出てきて、わたしに突き刺さる矢みたいなもんで。
発信するわたし
受ける誰か
その間には、見えるもの、見えないもの、
受け取れるもの、流されるもの
色々あるけど、
わたしがきちんと、怖さを分解して、受け入れて、
怖さに勝手に相手を重ねることなく、
自己完結できたら、
それは、ただ単に、怖いってラベルの貼られたいち気持ち。
なんだったら、ギフト。
そうなんだ、わたし、こういう気持ち持ってるのね。以上。
気づく、見る、感じる、確かめる。
そして必要以上に増幅させない。
そのものの、正確な大きさで掴んで、把握して、まんまでみる。
相手がいなくちゃ、
自分の感情ひとつ、感じられない。
相手を通して、わたしはわたしで在れるっていうのは、
他人との感じ方と自分の感じ方の差異に出会ってはじめて、
わたしはわたしの持ち物の個性や特徴を知れるってことなのだろう。
感じられることって最高のギフトだと思う。
その感情が、ネガティブよりだと引きづられるのが定番のわたしだったけれど、
昨日はお風呂の中で、感情はギフトだと思えていた。
すごくすごく、成長している。
客観的で、落ち着いていて、
落ち込んでも大丈夫だし、なんとかなるし、
な懐の深い自分を見いだせた。
安心感はやっぱり、自分で自分に用意してあげよう。
ずーっと真ん中で、見てくれている。
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