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禁句は、思考の中でも禁句で、正直とは誠実の『逆』という教え

タケルくん、この【タブー編】も、あと2回で終わる。

はあ。

今日は、『禁句』を、一気に紹介しよう。
こんな言葉を使っちゃ彼女ができないぜ、っていう言葉だよ。

逆に言うとこの言葉を使わないだけで、彼女ができてしまう確率がメチャクチャ上がるんだ。


◆「どうせ」

まずは、「どうせ」だ。これを禁句にしよう。

この「どうせ」という言葉の後には、たいていネガティブな言葉が続く。

ネガティブって、なんですか?


ああ、ネガティブは「マイナス思考」って意味なんだよ。

コップに半分の水がある。
ネガティブな人は、「もう半分しかない」と言う。
でも、プラス思考の人、ポジティブな人は「まだ半分ある」と言うんだ。

どちらも、コップに半分の水ということは変わらないのに、
1人は「ない」と言い、1人は「ある」と、真逆なことを言う。

マイナスなことをマイナスに考えるのではなく、なんでもマイナスに考えることが、ネガティブだ。
ネガティブな人は、プラスの現象もネガティブに捉える。

「こんな良い事が? これはきっと罠だ」とかね。

逆にプラス思考な、ポジティブな人は、マイナスなことにもプラスの解釈をする。

「こんな不運が? そうか、神様は僕を鍛えようとしているんだな」とかね。


話を「どうせ」に戻すけど、
プラス思考な人は「どうせ」という言葉を使わない。もし使うならワザと、おちゃらける時とかかなぁ? まあ、ほぼほぼ使わないね。

対して、ネガティブな人は「どうせ」という言葉を四六時中使う。

あたりまえだけど、「どうせ」という言葉を使う人の近くには、健全な人は寄らなくなる。
近くにいるのは、同じように「どうせ」という言葉が好きで、よく使う人だけになる。

そうなる理由は、なんとなく分かるでしょ?

はあ、
なんとなくは


まあ、ひと言でいうと、「どうせ」と言うのは、

僕、ひがみっぽい男子です

って、宣伝して歩いているようなものだね。

女子は、まあ、寄ってこない。


◆「No」

否定語の「No」を言う人は嫌われる。

原理は単純。
人は誰だって肯定されたい。そこに「No」という否定をぶつけるんだから、どうしたって嫌われてしまう。

この禁句は、「No」だけじゃないよ。そういう系統の言葉、全てが禁句だ。

・No
・いや
・違う
・ない
・ダメ

などが代表かな。

なにか頼まれたら断れないんですか?


おお! いい質問だね。
断ってイイよ。「No!」とか「嫌です」とか言ってイイ。

自分の意思や気持ちを、『問われたとき』や『質問されたとき』は、
率直な思いや考えを言ってイイんだ。

だから、なにか頼まれた場合は、NoならNoと言って良いんだよ。

ダメなのは、言った相手が、タケルくんの気持ちや考えを、
訊ねていないのに「No」を言う行為なんだ。

具体例で説明しよう。

山田くんが「タケルくん、柔道部に入らないか?」と聞いてきた。
このとき「ごめん、僕は柔道部には入らない」と、Noを言っても構わない。
なんの問題もない。

でも、山田くんがさらに、
「そうか、先輩が誰でもイイから連れて来いって怖いんだ」とつぶやいた。
そのつぶやきに対して、「そんな、…なんかオマエ、自分勝手だなぁ」と言ってはいけない。

もう1つ例を出そう。

お母ちゃんが、
「竹田さんったら、お返しに何を持ってきたかと思ったら…石鹸でさぁ~、もう、ガッカリしたから、タケルも、もう竹田さん家のカッチャンと遊んじゃダメ。分かった?」

って言った場合なら、
「いや、オレはカッチャン好きだから遊ぶよ~」と、Noを言ってイイ。

でも、お母ちゃんが、
「竹田さんったら、お返しに何を持ってきたかと思ったら…石鹸でさぁ~、もう、ガッカリした~」

って言ったのに対して、
「なに文句言って」「文句なんか言うなよ」と、Noや否定を言うのはダメ。

なんでですか?
違いが分かりにくいけど…。


違いは、
・意見とか回答を求められたか
・求められていないか

ここだよ。

会話の相手は、君に【意見】を求めていないし、【評価】も【ダメ出し】なんて一切求めていない。
自分は「こう思う」と、【理解】や【共感】を求めたんだよ。


もっと具体的に話そう。

さっきの例の、山田くんの、
「タケルくん、柔道部に入らないか?」は、明らかな質問だよね。

はい。


でも、山田くんの、
「そうか、先輩が誰でもイイから連れて来いって怖いんだ」というツブヤキは、質問でもないし、確認しているわけでもないだろ?

はあ、
でも、同意を求められたような、
さらなる説得のような、
「だから来い」的な…。


それはタケルくんの、早合点だ。

山田くんは、辛い気持ちを分かって欲しかっただけかもしれない。
声をかけて申し訳なかったという思いから出た、弁解だったのかもしれない。

「そうかぁ~、柔道部の先輩だもんな。怖いよなぁ」って、共感して欲しかっただけかもしれないんだ。


◆否定語禁止命令

いいかい、タケルくん。

否定は絶対しない。そう思った方がいい。

相手が質問したわけでもないし、訊ねたわけでもない。それなのに「No」とか「違う」とか否定するのは、求められていないのにアドバイスをしようとする、お節介に過ぎない。

そのお節介は、無意識に「自分が正しい」と思っている。無意識に自分が「上」から言葉を発している。

言われた人は、あなたは何様ですか?って、そう思っちゃうよぉ~。

タケルくんが神様でもない限り、他者より「正しい」とは限らない。
タケルくんの思う正しさは、タケルくんの脳中での正しさに過ぎない。

発表の場とか、あるいは誰かに求められたときにだけ、口にすればイイことなんだよ。

う~ん。
頑張ります。
でも、これ、けっこう難しそう。


いろいろ考えると難しくなっちゃうから、いっそ全部禁止にするとイイんだよ。
これなら理解は簡単だ。「一切ダメ!」だからね。

僕は、20代の後半から数年間、一切の否定語禁止を自分に課したんだ。

質問された場合でも、ダメ。
ひとり言でもダメ。

一切の例外を認めず、完全にダメって、そういうマイルールを作った。

一切ですか?


そう。一切。
徹底したよぉ~。

間違って、「今は時間がないから…」って言ったなら、「ない」は否定語だから、言い直すの。イチイチ言い直したよ。

「今のナシ、今のナシ、今のナシ」って3回言えば、なかったことになるというマイルールも加えて、イチイチ、イチイチ、言い換えた。

「ええっと、今は予定が一杯でして」って感じに、本当に言い直したんだ。

なんでですか?


習慣にしたかったんだ。
無意識でも、言ったり思ったりしないように、そういう自分になりたかったからさ。

僕には他者を、否定するクセ、批評するクセがあったんだよ。

1年もしないうちに、ほとんど否定の言葉を使わなくなったよ。

そして、副産物があった。

例えば何かを断るときに、「それはイヤだからお断りします」とは言わないし、かといって、引き受けたとか、まだ脈があるとか、誤解させるわけにもいかない。

だからね、肯定的な言葉での言いかえを頑張って探すことになるんだよね。

「それは、僕の考えでは優先順位が40番目か30番目か、かなり下位です」とか、政治家の答弁みたいになったこともあった。

外食をして、思わず「まずかったよねぇ」ってつぶやいたら、「今のナシ、今のナシ、今のナシ」と言って、「美味しい経験ランキングの、かなり下位だったねぇ」と言い換えたりしたんだ。

でね、副産物はね。

いつの間にか、僕は、他者の長所を見つける天才になっていたんだよ。
欠点って、ほとんど長所の裏返しなんだ。

欠点を見つける天才が、長所を見つける天才に、180度変わったんだよ。

仕事が、セールスマネージャーという指導者の立場だったから、この変化はチームの業績アップに、大いに役立ったねぇ。

そういえば最近この否定グセが再発しているから、否定語禁止命令を、また自分に出そうかなぁ。


◆汚い言葉

汚い言葉も封印しよう。

・クソ
・おまえ
・バカ野郎
・死んじまえ
・バカ
・デブ
・ブス

まあ、キリがないから、このくらいにしておこう。

全部、汚くはない言葉に言い換えができる。

・クソ → 大(意味によっては「最低だよ」「ヒドイよ」など)
・おまえ → あなた or ○○さん
・バカ野郎 → もっと考えましょう or 考えが浅い
・死んじまえ → 1度痛い目にあった方がイイのかも or 関わらないと決めた
・バカ → 頭が悪い
・デブ → 太っている or 体重が重い
・ブス → 
不美人 or 十人並み

ね。

ね、って、
こっちでも、言われたら傷つく言葉があるけど。


うん。そうだね。

当人には、なるだけ言わない方がイイね。そして、当人以外の人への説明のときや、ひとり言のときも使わない方がイイ。

「あいつバカなんですよ~」と、誰かに誰かのことを言うのなら、
「○○君、考えが浅いんですよね~」に、言い換えた方がイイ。

ひとり言でも、
「まったく、あいつはクソだ!」と毒つくのではなく、
「まったく、○○さんの発言は最低だ!」と、そう毒ついた方がイイ。

人間には、「使うと鍛えられる」という特徴があるので、汚い言葉がグレードアップしたり、その数が増えたりする。

グレードアップしたり増やすべきは、キレイな言葉の方さ。


◆安請け合い

「やります」「できます」「引き受けます」「任せてください」という、これらはイイ言葉だ。

でも、良く考えないで、安請け合いしてはならない。

安請け合いは、間違いなくタブーだ。


理由は、不誠実な人間になってしまうからだ。

引き受けた以上は、実行して結果を出さなければならない。もし結果が出せなかったなら?

それは、不誠実だ。

ここで、言葉の定義を明確にしておこう。

誠実とは、正直の逆を言うんだ。

え?
正直の逆は、ウソつきとかズルいとかじゃないの?


そうだね。
では、誠実の逆は?

不誠実、かなぁ。


では、誠実とは?

う~ん。


みんな、誠実を、雰囲気でボンヤリとイメージしている。明確に言語化していないんだ。

辞書で『誠実』と調べても、

私利私欲をまじえず、真心をもって人や物事に対すること。
また、そのさま。

と、分かったような分からないような説明が書かれているだけだ。

私利私欲が混じっていたか否かは、当人以外には分かり得ない。ならば他者が、「あの人は誠実だ」というのは、厳密には間違いになってしまう。「あの人は誠実そうだ」と、仮定にして言うのが正しい、というヘンテコなことになってしまうんだ。

私利私欲なく約束に取り組んで、約束を果たせなかった人と、
私利私欲もあったが、ちゃんと約束に取り組んで、その約束を果たした人。

どっちが誠実だろうか?

う~ん。


正直とは何だと思う?

え?


正直とは、事実を語ることだ。

はあ、
確かに。


その逆が『誠実』だ。

逆…。


そう。
言ったことを事実にする。それが『誠実』なんだ。

ああ、
なるほど~。


だから安請け合いしちゃダメなんだ。

本当に自分は、その約束を果たせるのか。
実行できるのか。
語った言葉を事実にできるのか。

ここをシッカリと吟味しなければダメなんだ。


この考え方は、1996年に出版される
『7つの習慣』スティーブン・R・コヴィー著
に書かれていたと、記憶している。


そして、
「この『誠実』という刃を他者に向けてはいけない」
「自分だけを裁く刃だ」

という注意をしている。

おそらくは、この刃を他者に向けたなら、多くの人を裁くことになってしまうから、このような注意を加えたのだろう。


◆蛇足

蛇足だが、
僕は、他者に向けず、自分にのみ向ける刃を、3つ持っている。

①誠実
②自動車の運転マナー
③裁判官思考

自分を検証したり、戒めたり、裁いたりするのはいい。
しかし、他者に向けてはいけないと、一生懸命言い聞かせている。


◆断ったら可哀そう、について考察

断ったら可哀そうだから、つい引き受けてあげたくなる。

そういう思いって、ないかい?

あ、
あります。


そうなんだよ。僕たちはお節介で、良く言えば面倒見がイイんだ。

でもね。
引き受けて、結果、約束を果たせなかったなら?

はあ…。


「出来ないんだったなら、最初に断ってくれた方が、まだ良かったのに」と、相手は、そう思うかもしれない。

もう1つある。

自分が、とても辛く、苦しくなりすぎて、依頼者を憎む可能性がある。依頼者を、嫌いになってしまう可能性が生まれるんだ。

ああ、
なるほど。


いいかい、タケルくん。

本質にも触れよう。

「断ったら可哀そうだなぁ」は、ウソではない。

しかし、引き受けると、
相手が『喜ぶ』『感謝する』という、【心理的ご褒美が得られる】という、欲が隠れていないかい?

あっ、
ああ、確かに…。


安請け合いしたくなった、その心理の本質は、相手のためではない。

自分が「イイ人」って思われたかったとか、
自分が「非協力な人」って思われたくなかったとか、

自分の【欲】や【得】など、自分のための選択だ。

それを。「相手のために」という、キレイな布で覆おうとしている。

いろんな角度から、安請け合いはタブーなんだよ。


◆陰口

陰口もダメだ。

これは、なぜダメか、説明できるかい?

あ、
ええっと、
陰口は卑怯です。男らしくありません。


そうだね。
この田舎の、良い文化だと思うよ。卑怯を嫌う文化は素晴らしい。

もう1つ。『損』もするだよ。

損?
ああ、「おまえ、陰口言いやがって」と、
結局バレてケンカになるとか、嫌われるとか。


まあ、そういうのもあるだろう。
でも、もっと直接的な損だよ。

直接?


そう。
タケルくんが、Aくんの陰口をBくんに言ったとする。

バレてAくんに嫌われる。これは間接だよ。
陰口を言い合った、Bくんにも嫌われるんだ。

え?
一緒に言い合ったのに?


そうなんだ。なんなら言い出しっぺがBくんで、タケルくんは話を合わせてただけでも、そうなるんだ。

ええ?


Bくんの潜在意識には、「タケルくんは陰口を言う人だ」と刷り込まれる。
ということは、「僕がいないところでは、タケルくんは、僕の悪口を言う」と、そう、Bくんの脳は思うんだよ。

脳は善悪の判断ができないと、脳科学者が、こぞって言っている。

「タケルくんは、その場にいない人の悪口を言った」という事実が、B君の脳に刻まれる。

この、人間のメカニズムを知らない人が多いんだ。

BくんがAくんの陰口を言ってきて、話を合わせたら、Aくんにバレるかバレないかは100%ではない。
でも、Bくんに嫌われるのは100%なんだよ。

かといって、陰口を言いながら近づいてきたBくんに、「陰口を言うなよ」という正論を吐くのも良くない。

裁判官の刃の行使になって、これも嫌われてしまう。

陰口を言う人がいたなら、なるべく自然にその会話の輪から離れる。
離れられないとか、マンツーマンという場合は、相づちに注意する。

「そうだよね」という相づちは打たない。
「そうなんだぁ~」という相づちにする。

僕もそう思う、ではなく、君はそう思うんだぁ~、という、そういう相づちだ。
ただ、この効果は、相手には小さい効果しかないから、なるべくス~っと、逃げるのが最善の策になる。

間違っても、一緒に陰口で盛り上がっちゃダメだからね。

女子がはたで聞いていたなら、間違いなく嫌われるよ。


◆自慢話

タケルくんは、まだ高校1年生だから自慢話はしないと思うけど、オジサンの中には自慢話好きがたくさんいる。

自慢話する人は、自慢、つまり自分の凄い点を説明するのだから、
「凄~い!」と称賛されたり、「さすがですねぇ」と感心されたり、要は、評価が上がると思っているんだ。

上がらないんですか?


うん。
上がらない。逆に下がる。

なんでだろう?


イメージしたら分かるんじゃないかな?

例えば、お姉ちゃんが、通信簿をヒラヒラ見せて、「私は、体育が3で、その他は全部5! その数は、なんと…」って言ってきたらどうだい?

なんかイヤですねぇ


だろう?

実際、お姉ちゃんはそんなことはしない。
自慢をする人は劣等感がある人なんだ。アドラー心理学の見解だよ。

劣等感⁈


そう。
本当に自信のある人は自慢などしない。する必要がない。
自信がないから、他人からの承認や称賛を求める。他人から称賛されることで自信を持とうと目論む。

それが、自慢話をする人の深層心理だと、アドラーは言う。

僕も、54年の人生経験に照らしてみて、まったくもって同感だね。


◆1人のときでも

禁句は、1人のときでも、頭の中で考える時でも禁句だよ。

え?
頭の中でも?


そうだ。

いいかい、タケルくん。
君の耳に1番近い口って、誰の口だい?

僕ですね。


だね。
思考なんて、脳内そのものだ。

タケルくんの発言は、タケルくんが1番影響を受けるんだ。

潜在意識には、取捨選択機能がない。なんでも記憶する。
言わば、なんでも鵜呑みにするんだよ。

善悪の判断もないし、重要か重要じゃないという判断もしない。
なんども繰り返される単語や熟語を、脳は『重要』と判断する。

これも、多くの脳内学者の見解だよ。

自分が自分に呟く言葉。
頭の中で、思考する言葉。

これが、凄く大事なんだ。


◆まとめ

よし、今日の語った内容をまとめよう。

禁句を列挙するね。

・どうせ
・No
・いや
・違う
・ない
・ダメ
・クソ
・おまえ
・バカ野郎
・死んじまえ
・バカ
・デブ
・ブス
・安請け合い
・陰口
・自慢話

こんな感じだね。

そして、ひとり言や、思考するときにこそ、禁句を意識しなよ。


さあ、次回がタブー編の最後だ。

じゃあ、またね。




『いいかい、タケルくん』【タブー編】【7】

=== ここまでを、コピペ&推敲しサイトに投稿します ===

ブログサイト ↓

PS.
※この記事は12月にkindle出版する『いいかい、タケルくん』【タブー編】 ~ ブサイクで21年間彼女ナシの僕が「彼女なんて簡単にできる!」と、そう言い切れる理由 ~ の初稿です。
※この初稿を、推敲して専用ブログサイトに投稿します。
※さらに、対話形式に加筆修正してkindle出版します。
※この記事は、エッセイ『妻に捧げる3650話』の第561話です。
※kindle本の『挿絵』を描いてくださるイラストレーターさんを募集中です
※もちろん、お仕事として、キチンと『報酬』をお支払いいたします
※かるいタッチが希望です
※クラレコが第1希望です
※6冊出しますし、表紙にも検討させていただきます





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